第20回

賢順記念くるめ全国箏曲祭

全国箏曲コンクール

平成25年12月7日(日) 10時開演 会場:文化センター共同ホール

スケジュール

  • 全国筝曲コンクール 10:00~13:35  
    • 10:05・・・コンクール出場者演奏
  • 昼休み:13:40~14:25
  • 特別演奏会 14:30~15:50      
    【第1部】善導寺ことクラブ
    「さくら」作曲:不詳
    「月下美人」作曲:吉崎克彦
    【第2部】筑紫女学園高等学校(筝、十七弦)
    「千鳥幻想」作曲:沢井忠夫
    筑紫女学園高等学校筝曲部は1年生7名・2年生11名の計18名で活動しています。
    学校行事で演奏の他、高齢者介護施設や地方自治体主催行事でも演奏しています。      
    【第3部】
    (山田流)山登松和、(助演:三弦)千葉真佐輝、(助演:尺八)善養寺恵介
      「須磨の嵐」作曲:山登万和
    源平の一の谷合戦、熊谷直実が16歳の平敦盛を泣く泣く討ったという有名な話。
    (生田流)友淵のりえ
      「巫女譜(かなぎめのうた)」作曲:肥後一郎
    コンクール審査発表・表彰式 15:30~16:50        
    表彰式        
    開催市長・来賓あいさつ        
    審査発表・表彰        
    講評:駒井邦夫        
    賢順賞受賞者演奏

賢順賞:中島 裕康(茨城県守谷市)

賢順賞:高木 理恵

受賞者の言葉(要約)
何も考えていなかったので、頭が真っ白で言葉がちょっと出ません。
この筝曲コンクールは高校生頃から知っていて「筝曲家の登竜門」だと思っていました。本当に名誉のある賞を頂き、なによりも感謝の気持ちで一杯です。
2ヶ月間位は
去年大学を卒業し、今25歳ですが、いくつかのコンクールを受けて、賢順賞に挑戦するつもりでしたが、初めての挑戦で、金賞を頂き本当に嬉しく、この先頑張らなければと思います。
演奏が終わった時、母親にすぐメールを出していました。
ありがとうございます。
自然に対する愛、人間に対する愛をうたった「賛歌」を感謝の心をこめて演奏します。

記念演奏:中島 裕康 「賛歌」(作曲:沢井忠夫)

記念演奏:中島 裕康

銀賞(福岡県知事賞)

銀賞・県知事賞:高橋 直也
高橋 直也(東京都杉並区)
「手事四綴」(作曲:肥後 一郎)

銅賞(久留米市長賞)

銅賞・市長賞:石田 真奈美
石田 真奈美(千葉県柏市)
「2つの万葉歌~ぬばたまの~」(作曲:松下 功)

奨励賞

奨励賞:新美 知子
新美 知子(愛知県知多郡)
「翼にのって」(作曲:沢井 忠夫)

奨励賞:谷富 愛美
谷富 愛美(神奈川県川崎市)
「火垂るⅡ~筝独奏のための~」(作曲:沢井 忠夫)

奨励賞:大古 亜希子
大古 亜希子(北海道札幌市)
「那須野」(作曲:山田 検校)

岸邉成雄賞(若く表現に意欲的な人に贈られる)

岸邉賞:尾松 優希
尾松 優希(京都府舞鶴市)
「蘇る五つの歌」(作曲:沢井 忠夫)

審査員(50音順)

駒井 邦夫:
元NHKエクゼクティブディレクター
友淵 のりえ:
生田流筝曲演奏家
野川 美穂子:
東京藝術大学講師 
松下 功:
一般社団法人 日本作曲家協議会会長
山登 松和:
山田流箏曲演奏家

駒井邦夫氏による講評

駒井邦夫氏による講評

「須磨の嵐」作曲:山登 万和

源平の一の谷合戦で熊谷直実が16歳の平敦盛を泣く泣く討たねばならなかったという有名な話を歌っています。
山田流の山登万和が明治30年頃宮、作曲したといわれ、古典としては比較的新しい作品です。
この曲の元になっているのは「平家物語」や「源平盛衰記」で、一谷は今の神戸市須磨区にあるので「須磨の嵐」という題名になっています。

熊谷直実は、敦盛を討ったあと、敦盛の持っていた「青葉の笛」を八島の平家の陣に送り、これをきっかけに出家して敦盛の菩提を弔いますが、その心を思いやって歌いあげます。
山登万和は、山木、山勢などの諸検校とともに山田検校の門下でした。明治になってからも多くの曲が作られ、古典として演奏されています。山登万和という人じは作品の多い人で、「近江八景」などがよく演奏されます。


山田流と生田流

生田流は、もともと地歌の曲に筝のパートをつける形が多く、幕末頃には筝中心の音楽を作る動きが出てくるが、ドラマチックな内 容を歌うことはない。

山田流は山田検校という人が江戸時代後期に、生田流から別れて、違うタイプの筝曲を江戸で始めたもので、東京を中心に東日本では広がっていますが西日本ではあまり広がっていないため、特に九州では演奏を聞く機会が少ないです。山田流では歌が中心で、ドラマチックな内容を歌うことがあり、その歌は、当時江戸で流行していた河東(かとう)節や一中節などの浄瑠璃の影響を受けて歌の表現の幅を広げている。ただし、それもあくまでも筝曲らしい品の良い控えめな表現にとどめている。三味線も控えめにつけている。


「巫女譜(こうなぎのうた)」作曲:肥後 一郎

巫女はもともと日本古代史の上で、とても大きな役割を果していました。卑弥呼も神話に出てくるアメノウズメも巫女で、神を招く力をもっていましたが、その次の段階では、古い宮中のお神楽の中で、神を招き下ろし、神を「遊べ」と歌って 慰め楽しませてお帰しするという巫女らしい姿と役割を持っていた時代でした。
ところが平安時代には、政治の世界も動き、男性中心となって巫女は宮中からリストラされて、大きな神社の巫女、多くは世間で占いをしたりする巫女になったり、身に着けてきた歌や舞いで人を楽しませるさすらいの芸能者になったりしました。さらに時代が進むと、都市ができ、港や大きな船着場など、人が集まり泊まったりするようになると、もう歌や舞だけでは生活ができず、遊女として暮らす人たちも多くなってきます。
最後の「祈り」の部分では、老いた遊女の悲しみと、仏にすがる気持が歌われます。
「遊びをせんとや 生まれけむ」
現代邦楽は、それまでいつも声の伴奏に甘んじていた楽器を、独立した音楽の楽器にした意味で大成功でしたが、日本の音楽にとって大切な歌と語りを置き忘れました。
そのため、歌を中心とした現代曲は少なく、いい作品はごく少数でしたが、この曲はそれまでの筝曲の枠をはるかに超えて、歌の表現を大きく広げたスケールの大きな意味の深いアピールの強い曲になっています。これを委嘱し初演されたのが、今日演奏された友淵のりえさんです。


解説をされた小島先生の語り口、普段、邦楽に触れる機会が少なくても、一つ一つ分かりやすく教えていただけること、毎回この会場に来ることの大きな楽しみの一つになっています。ご高齢だとは思いますが、少しでも長くお元気で活躍していただけるように祈念しております。

本来なら解説文をそのまま転載したいのですが、一部抜粋させていただいております。


若い人の姿が少ないのは本当に残念ですが、参加者が自分自身と闘って練習を重ね、予選を通過した25人が競うという、真剣勝負の場、これだけの演奏を聴ける機会はありません。
だからこそ、空席の活用を兼ねて、児童・生徒の音楽鑑賞の機会に利用できないかといつも思います。

文責:くるめんもん・中島

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参考資料:「第20回賢順記念全国箏曲祭」パンフレット

kurumenmon.com