北原白秋

帰去来(詩碑)

「帰去来」

山門は我が産土、
雲騰る南風のまほら、
飛ばまし今一度、

筑紫よかく呼ばへば、
恋ほしよ潮の落差、
火照り沁む夕日の潟

盲ふるに、早やもこの眼、
見ざらむ、また葦かび、
籠飼や水かげろふ。

帰らなむ、いざ、鵲、
かの空や櫨のたむろ、
待つらむぞ今一度。

故郷やそのかの子ら、
皆老いて遠きに、
何ぞ寄る童ごころ。

親友・画家の恩地孝四郎の製作協力。
石は宮崎康平(1917年5月、島原市生まれ。古代史研究家で「まぼろしの邪馬台国」の著者)が白秋さんが座って飲む姿に似ていると提供したそうです。
碑の前に立つと自動的にはじまるこの歌を聴くことができます。(平成11年10月2日取材)

水の構図(詩碑)

水郷柳河こそは、
我が生れの里である。
この水の柳河こそは、
我が詩歌の母體である。
この水の構図、この
地相にして、はじめて
我が體は生じ、
我が風は成った。

「水の構図」より 白秋

(柳川市矢留町白秋公園の詩碑より)
公園は、母校の矢留小学校、大神宮(六騎を奉った神社)に隣接しています。

「帰去来」の解説

山門(やまと)は自分の生まれ故郷である。雲は湧き騰り南風(はえ)は常に吹き通う明るい土地柄である。かって自分は飛行機で訪問したことがあったが、ああもう一度、あの空を飛びたいものだ。

筑紫よ、国の名を呼び掛けると、もうそれだけで、落差激しい潟海が思い出のなかに見えてくる。夕日の反射を受けて光っているあの海が恋しくてならぬ。

だが、今の自分の両眼は早や盲いて、二度とそれらをうつつに見ることはできないであろう。あの水辺の葦(あし)の芽だちも、籠飼(ろうげ)も、水かげろうも・・・

それにしても帰ろう。鵲(かささぎ)よ、さあ、お前と一緒に帰ろう。あの空、あの群れ立つ櫨(はぜ)の木が今一度、待っているであろうよ。

ああ、故郷。昔馴染みの誰彼もみな年老いてしまったし、それに海山を遠くへだてて年ごろ疎遠になっているというのに、どうしてこうも子供のように頑是なく、故郷に心ひかれる自分なのであろう。

(解説-藪田義雄氏)
矢留町白秋公園内の詩碑横にある掲示板


*)飛行機で飛ぶ

昭和3年(1928)7月、大阪朝日新聞社の委嘱で、画家恩地孝四郎と大刀洗飛行場⇒大阪の芸術飛行をするが、
その前に郷里柳川の空を飛び、20年ぶりに帰郷し、故郷の人たちから大歓迎を受けた。

*)作詞

白秋は北海道~鹿児島・当時の満州朝鮮、台湾などの校歌・市町村歌・社歌を多数作詞しています。
柳川・久留米に関するものから抜粋しました。

校歌

社歌・団体歌など


*恩地孝四郎さんについて検索して「ときの忘れもの」さんに出会い、リンク許可をいただきました。
また、このときの成果が恩地孝四郎著『飛行官能』(版画荘、1934年)となったそうです。

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