風流はんや舞

毎年、9月18日に近い日曜日に開催されます

平成26年度 9月21日(日)10時開始

会場:[麻生神社]八女市星野村池の山、麻生池そば(星のふるさと公園内)

麻生神社に奉納される芸能で、保存会会長・来賓の挨拶に続いて始まりました

土穴地区「さがりは」

土穴地区「さがりは」
本殿に向かって横一列に並び、演奏されます。この方々は全体の囃し方の役も兼務

風流はんや舞(上郷・下郷・横廻り・中通りの順)

それぞれの地区ごとに風流(ふりゅう:打楽)とはんや舞(扇舞)を奉納されましたが、少しづつ異なる部分があるようですが、今年の取材が初めてなので、一緒に掲載しました

  • 1:音頭(おんど)2人が着座(臨検役:藩政時代に郡奉行の下役が祭礼に臨席した名残り)

音頭:検視役
席に着く前に、本殿に向かい、礼をしてから始まります。

  • 2:新発意(しんぽち:新参者やお寺を継ぐもの)僧装束で唐団扇を持つ (月・太陽・卍の模様入り・・卍は見ませんでした)

新発意 しんぽち新発意 しんぽち

  • 3:新発意の先導で赭熊(しゃぐま)をかぶり太刀を背負った太鼓打ちが、蓮(むらし:小太鼓打ち)・チンカン坊主(鉦打ち)といった子役を伴って登場します。

太鼓打ち1太鼓打ち2太鼓打ち3

風流

囃子方(はやしかた)の笛に合わせ、新発意の指揮によって風流が演じられます。
僧装束の新発意が太鼓打ち・蓮・チンカン坊主を指揮するのは、このあたりには阿蘇の山伏が峰入りを行っていたといわれ、儀礼の過程に、神仏混淆時代の名残りを色濃くとどめるものといわれています。

「風流」に続き、「はんや舞」に移ります。裃を付け、扇を持った20人ほどがハンヤの掛声を伴う古謡を歌いながら、扇を開いたり閉じたりしながら舞います。

はんや舞1新発意が登場し、列の間を廻る
舞の途中にも新発意が登場し、列の間を廻ります。(右)

現在、奉納されている舞の歌詞は42番ほどありますが、
室町時代から江戸時代初期にかけての

  • 「閑吟集」室町時代に流行した小歌の代表的歌謡集。1518年(永正15)成立 3分の2を恋歌が占める。
  • 「隆達小唄」泉州堺、日蓮宗顕本寺の僧隆達(1527~1611)が創めた小唄。1600年ころに流行、
  • 「宗安小歌集」室町時代中期以降、広い階層の人々に愛唱された流行歌謡「中世小歌」。

いずれも、男女の心情をうたった歌等から採られています。

「はんや舞」の奉納起源は、「筑後星野御池社記」に
貞応元年(1222)猫尾城主の黒木氏が、国家安全と風雨無難を祈って、舞楽ならびに風流の神事をなした」とあるのが最古のようです。

はんや舞2

藩政時代には、藩の節倹令のもとで度々中断したようですが、

  • 天明8年(1788)以降は、郡奉行下役の祭礼への臨席が恒例となり、
  • 文化元年(1804)に復興が許可されています。

村あげての祭礼として連綿として伝承されてきました。

「はんや舞」は中世の名残りをとどめる芸能として、筑後地区では極めて貴重な存在となっています。
昭和35年、福岡県無形民俗文化財指定、昭和35年、国の選択指定無形民俗文化財指定。

はんや舞3

「下郷はんや舞」の歌詞の一節(対訳)

原文)
「ハンヤ 迫めて見る目はうらうらと
想いを色に見せばや紅井の
余所に散りては何かせん
吾身ひとつは
如何にせん(繰り返し)」

訳)
あなたを思う私の心を何とかしてそぶりに出して見せたいと思います。
けれどあなたと私のことが世間に広まったら何としましょう。
私の身はどうなってもかまいませんが。・・。」

男性ばかりの演者による、はんや舞で唄われる歌詞は、上記に抜粋したような恋心を表したものばかりでしたが、
室町ー江戸初期(1400-1600年頃)にかけての「閑吟集」「隆達小唄」「宗安小歌集」等から採られた歌だそうです。
奉納起源はそれよりも古い、という奉納神事が、今に伝えられていることに感激しました。

(風流はんや舞保存会事務局配布された印刷物から引用しました)

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