筑後軌道(2)

筑後軌道の発展~廃止まで

1896年(明29)日田‐久留米を結ぶ鉄道建設が計画された

久留米-日田、日田-耶馬溪鉄道に接続する南筑軌道を計画し、鎮西鉄道株式会社を設立。

福岡県豊前市を起点に、日田‐久留米-三潴郡若津港を結ぶ日田鉄道を計画、上記の鎮西鉄道と合併したが、鎮西鉄道が解散したので西州鉄道株式会社を設立(明治31年(1898)10月久留米市京町に創立事務所)したが、折からの経済不況で計画が進まなくなった。

明治32年(1899)5月3日

発起人:林田守隆・鳥越貞敏(浮羽郡)千原藤一郎(日田町)の3名は、久留米~浮羽郡山春村(うきは市)荒瀬間の馬車鉄道の敷設計画を立てた。吉井馬車鉄道会社を設立。久留米~荒瀬間の更生県道路に軌道敷設されることになった。

殖木諏訪神社傍の線路跡殖木諏訪神社そばの線路跡
殖木諏訪神社傍、筑後軌道線路跡は赤矢印の幅・4t車がやっと通る程度で、農道に見えます。


殖木~船越小学校付近まで(線路跡より道幅を広げたことが分かります)