(4つの狛犬のある参道が風格と懐かしさを感じさせる創立1189年の古い神社です。)






2つの鳥居をくぐり、石橋を渡ると菅公にお馴染みの牛の像があります。
参道左右の狛犬の形が違いますが、右は「阿吽」の「阿(あ)」、左は「吽(うん)」を意味しているそうです。仁王門のあるところでは、左右の仁王像がそれぞれに「阿」・「吽」をあらわしているのですから同じ役割を担っているのだと思われます。
(現時点では、まだ確かめていません。関心のある方はご自分で確認してください。)
:久留米市東櫛原町一三二四番地
:・菅原道真公(相殿)北の方吉祥女 ・老松神(菅公御愛松の神霊)
:皇紀1849年(西暦1189年)第82代後鳥羽天皇の御代、文治5年9月
:境内坪数1339坪
社殿(本殿・拝殿)・社務所・手水社・神楽殿・神門(楼門)・祈願受付所・古札納所
約1450戸 (東櫛原東部・中部・西部・南薫西町・寺町・十丁目の一部)
廣瀧社(太宰小弐高経公)
日吉神社(大山咋命)
琴平社(大己貴神)
英彦山神社(天忍穂耳命)
恵比須神社
八底龍王神社
伽覧社
1月1日 歳旦祭
2月11日 紀元節祭
5月中旬 氏子祭
6月30日 大祓祭
8月25日、26日 夏祭(よど)
11月中 七五三詣り(11月15日七五三祭)
11月29日 大祓祭
御祭神は、至誠の神、学問の神として広く熟知され、厚く崇敬されておられます贈正一位太政大臣菅原朝臣道真公(俗に菅公という)で、天神様と申しあげ各地にお祀りされている。
菅公は、醍醐天皇の御代、延喜3年2月25日(西暦903年)大宰府の謫居で薨去遊ばされ、やがて大宰府の地に奉祀された。
当神社は後鳥羽天皇の御代、文治5年9月(西暦1189年)御分霊を仰ぎ長い間当地区の鎮守の神としてお祀りされている。
天文年間の兵災で旧記を悉く焼失した。これにより文治5年より寛永4年までの約444年間が不明となる。
或は云う、源頼朝創立すと。或は云う、筑州刺吏某創立し、社領55石余りを寄付すと。
元禄15年春、村長貞宣、寄付募集により神殿を新営、享保4年8月11日、貞興、拝殿を新営す。この年郡中4社の1つに加えられ、
天明2年から藩主有馬氏により毎年祈祷料として米30苞寄進される。
明治6年5月に郷社に列せられ、大正12年1月11日、御饌幣料供進神社として福岡県より指定される。
神殿は昭和37年4月、御鎮座775年大祭の奉賛事業として改築、社務所は昭和51年4月、御神忌1075年大祭の奉賛事業として改築、
昭和63年4月、御鎮座800年大祭の奉賛事業として神楽殿の改築をす。
当神社の夏祭(よど)は、毎年8月25日、26日の二日間、氏子が御祭神の神霊を慰め奉り、併せて、氏子の平安無事と氏子の親善の場として古代より伝承されてきた祭行事で、今尚受け継がれて盛大に行われている。
昭和56年にはNHKのTV番組「今晩は九州」で放送されたことは皆様方の既にご承知のとおりである。
社殿周辺の老松は、寛永4年(西暦1633年)春。藩主有馬豊氏が郡吏に命じて四辺に松を植えしめたもので、今も尚、2株を存す。
昭和63年4月吉日
神賑(8月25日の行事)の紹介