江戸中期、貨幣経済の発展により、町人が台頭し、農民が貧窮化し、その危機を救うため、いわゆる「享保の改革」が行われた。しかし農民は過酷な農作業を強制され、かつ、風水害、風土病などのため、若くして生命を終わるものが多かった。これを見て善福寺第九世瑞誉上人は楠の一本に一刀三礼して仏像を刻み、この丘陵地に安置し、これらの人々の長寿延命と、幼子の健全なる成育を祈願して建立されたのがこの地蔵尊像であります。 爾来、歳月流れて、明治12年忍誉戒定上人により再建され、このたび、更に地域の人々の懇志により再建され、今日に至った霊験あらたかな地蔵菩薩尊像であります。(この案内板は1989年に作成されたと思われます)
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