天明8(1778)年12月29日~明治2(1869)年4月26日
久留米絣の始祖井上伝女は、
現在の久留米市通外町35番地の米穀商「橋口屋」こと平山源蔵の娘として生まれ、
幼少の頃から布を織ることにすぐれ
純綿正藍のよさを誇り、伝統の技術が伝承されている久留米絣は、国の重要無形文化財に指定されています。
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この地方の婦女子は必ず機織りを習う習慣があった。このようななかで育った伝女は生来起用で幼にして木綿織にたけ、しかも常に研究を重ねついには「加寿利」を考案した。
井上家に嫁いでは技量も更に進み(久留米原古賀織屋おでん大極上御誂)の商標で売出し好評を博した。
晩年は実家の近くに作業場を設け多くの子女を養成、招かれては近郊に出張教授するなど久留米絣の発展に尽した。
女性の地位も認められていなかった19世紀の封建時代、女性が近代産業への脱皮に力強い息吹を示したことは偉とすべきである。
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参考資料:久留米市観光コンベンション協会の説明文