高山彦九郎終焉の地

高山彦九郎正之(字仲縄)は、
延享4年(1747)、上野国新田郡細谷村(現群馬県太田市)に誕生。
寛政の三奇人(高山彦九郎、林子平、蒲生君平)として有名な彦九郎は、全国各地を遊歴し、当時の徳川幕府を批判し、王政復古を唱えました。
尊王運動の先駆者である彦九郎は三度、久留米を訪れており、寛政5年(1793)6月27日、友人の森嘉膳《宝暦4(1754)~文化3(1806)》宅離れで割腹して憤死しました。(数えで47歳の時)
終焉の地の碑は封建社会から中央集権の近代国家に移ろうとする胎動期の歴史を語るものとして貴重な史跡です。
墓は寺町遍照院にあります。


碑前には、自刃前、彦九郎が書類を焼いた手水鉢の台石が残されています。

上の画像左奥にある石碑の文面:判然としませんので再度調査予定です。

嗚呼此地ハ高山彦九郎先生終焉ノ????
生寛政五年六月二十七日森嘉膳ノ邸に??
屠腹シ翌暁に至リ瞑ス夫レ維新中興ノ
皇運啓成ノ功ヲ魁首トス其???
ヲ伝へザルベケン???三井郡???
??ヲ??土地ヲ買収シ外柵ヲ設ケタリ?
村合併ノ後久留米教育支会ノ管理ニ移シ各
学校職員生徒児童・醵金ニ依り慈ニ鉄柵ヲ
説け管理者ヲ置き以ッテ之ヲ保管ス

左右に2基の歌碑があります。

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