青木繁

略歴

明治15年(1882)7月13日
荘島町431番地に久留米藩茶道家次男、青木廉吾の子として出生。
明治20年(1887)9月(6才)
荘島尋常小学校入学
明治24年(1891)3月(9才)
尋常小学校卒業、4月、久留米高等小学校入学
明治28年(1895)3月(13才)
高等小学校卒業、4月、久留米中学明善校入学
明治32年(1899)2月(17才)
明善中学を3年で退校、5月、上京し不同舎に入門
明治33年4月(1900)
東京美術学校西洋画科選科入学
在学中に「黄泉比良坂」(文化センター美術館)等を白馬会第8回展に出品し第1回白馬賞を受賞
明治37年(1904)7月(22才)
卒業。卒業制作「自画像」
同年8月福田たね、坂本繁二郎らと房州布良に滞在して「海の幸」を描く。白馬会第9回展に出品。浪漫派の旗手と見なされる。
のちに「わだつみのいろこの宮」などの名作を描く。
明治38年(1905)8月
幸彦(福田蘭堂)が誕生。
明治40年(1907)8月(25才)
父危篤のために帰郷して以来、熊本、天草、佐賀と失意のうちに放浪が始まる。
明治44年(1911)3月25日
入院先の松浦病院(福岡市)で客死。享年29才。墓は日吉町順光寺。

「焼き残りたる骨灰は序の節高良山の奥のケシケシ山の松樹の根に埋めて被下度、小生は彼の山のさみしき頂より思出多き筑紫平野を眺めて、此の世の怨恨と呪詛とを捨てて静かに永遠の平安なる眠りに就く可く候」の文を遺した。

日吉町順光寺にある青木繁の墓碑
日吉町順光寺にある墓碑

***** 青木繁関係(久留米)*****

青木繁旧家(久留米市荘島町470番地 )・・市のサイトへリンク
青木繁記念碑
昭和23年、坂本繁二郎等の力で歌碑が兜山キャンプ場上に建立。
毎年、命日(3月25日)前後に墓前祭(ケシケシ祭)が催される。
『わが国は筑紫の国や 白日別 母います国 櫨多き国』の歌碑は八女市岡山公園内にも設置されている)
青木繁の碑(レリーフ)(久留米城)
久留米城・巽櫓の位置にあり河北倫明氏による碑文が刻まれる。
坂本繁二郎生家(久留米市京町)
青木繁と同世代でライバルだった画家の生家
石橋美術館(石橋文化センター:福岡県久留米市野中町101)
彼の作品を多数、保管展示

************ 参考に ************

◎大川市立清力美術館 
(大川市)生前の繁は清力酒造に滞在して「漁夫晩帰」という大作を描きました。  
◎梅野記念絵画館
(東御市=とうみ市)長野県、浅間山の見える美術館。
繁の友人だった梅野満雄氏の関係者が運営されている美術館で、繁の作品を多数保有されています。
(【主な収蔵作品】で作品が見られます)
〒389-0406  長野県東御市八重原935-1 芸術村公園内 梅野記念絵画館
◎河村美術館
(唐津市) 唐津市出身の河村龍夫氏が、長年に亘り蒐集された作品です。
氏は青木繁の作品を好み、繁の作品19点が蒐集されて所蔵されています。
〒847-0015 佐賀県唐津市北城内6-5 現在・土・日・祝のみ開館しています。
・・・JR唐津駅より徒歩800m(約10分)
小城市・祇園川の歌碑
佐賀であちこち放浪する中、小城市で画友・平島信宅に滞在したことがあります。そのときの作歌が碑になっています。
◎旅館
繁関連の唐津市の旅館「あけぼの」明善中学校の恩師であった森三美が佐賀中学校に転任したので、繁は明治42年7月から彼を訪ねて来ます。
当旅館で画会も開かれ、その後しばらく当旅館に滞在していました。
佐賀市中の小路3-10  JR佐賀駅より徒歩約20分、タクシーで5分

◎旅館・洋々閣 〒847-0017 佐賀県唐津市東唐津2-4-40 佐賀での青木繁の動向が分かります。

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繁が住んだ校区、久留米市立荘島小学校の校歌は、作詞:丸山豊/作曲:団伊久磨が作っています。
(同じく、組曲「筑後川」も作曲:団/作詞:丸山で作っています)

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