今村カトリック教会の位置

大刀洗 今村カトリック教会

前面から見た教会

福岡県指定文化財

今村教会堂 附 煉瓦塀・門柱

所在地:三井郡大刀洗町大字今707番地
指定年月日:平成18年3月3日

左側面から見た教会 教会左側

この地方にキリスト教の信仰が芽生えたのはいつごろかわからないが、1560年代には筑後地方での代表的なキリシタン集団が生まれたと伝えられている。

*)1560年:桶狭間の戦い

1587年の豊臣秀吉によるキリシタン禁令、
1614年発布の徳川家康による全国的なキリシタン禁令に基づく弾圧の嵐は、1630年代、特に1638年の「島原の乱」が終わった年からこの地方にも吹き荒れた。しかし、多くの信徒がかくれて信仰を守った。

1867年2月26日、浦上の信徒4名が、今村の潜伏信徒を発見し、浦上の信徒とひそかに交流を保ち、信仰を守り通した。

1867年1月:高松凌雲、遣欧特使・徳川昭武に随行、パリへ
1867年10月:大政奉還

右側面道路から見た教会 教会右側の道路から

1873(明治6)年、キリスト教が解禁された。

1879(明治12)年、フランス人宣教師ジャン・マリー・コール師が、
はじめて今村の信徒の司牧に着任、青木才八家の土蔵を教会代わりに使用。

1881(明治14)年、後継のミセル・ソーレ(Michel Sauret)師により信徒たちが敬愛した殉教者ジョアン叉右衛門の墓を建立。

*)1914年頃、久留米に在住したソーレ神父は、久留米俘虜収容所へ週1回通いドイツ人俘虜たちに会っていたという

2つの塔を持つロマネスク風様式赤レンガ造りの現教会堂は、
1908(明治41)年に本田保神父により計画され、諸外国、特にドイツの信者からの寄付、信徒たちの労働奉仕のうえ、
1913(大正2)年に完成した。

設計・施工は当時長崎で多くの教会建築を手掛けた鉄川与助で、国内に残るレンガ造りの境界としては貴重な存在である。

軟弱な地盤のため基礎工事には技術・コスト面で困難を極めたといわれる。
ステンドグラスはフランス製、柱は高良山の杉、瓦は城島町の「荒巻」という工場で製作したもの、
レンガは神崎市(旧千代田町)迎島の五工場に特注したもの、石材は主に浮羽市山北産、
内部に掲げられたキリスト受難の14枚の聖絵はフランス製。
外部・内部とも建設当初の状態が保たれ、明治後期から大正初期に建設された教会堂建築の様子を知ることができる。

平成19年6月
大刀洗町教育委員会

正面横の上がり口


太刀洗飛行場が空襲された時、教会のおかげでか、付近は被害がなかったという話を聴きました。

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