田主丸 虫追い祭り 2013年11月16日(土)

田主丸町伝統文化財である「虫追い祭り」を36年前に復活させ現在 に至っています。
現在は人形2体、馬1体の喧嘩祭では全国を見ても類を見ない規模の祭りとなっています。

旧田主丸の伝統芸能「虫追い祭り」は約300年の歴史を持ち、古く江戸時代から、この筑後地方で行われていましたが、戦後しばらく途絶えていました。
この祭りをJAにじ田主丸地区青年部・パイオニアクラブの手で復活させ、3年毎に開催し、13回目を迎えます。

現在は人形2体、馬1体の喧嘩祭では全国を見ても類を見ない規模の祭りとなっています。

祭りの内容

平安時代の武将、斉藤別当実盛と手塚太郎光盛の2体の人形と実盛の馬とで構成される戦いです。

人形は高さ3m、竹とわらで本体を造り、鎧、兜、陣羽織などを着せた武者人形で武者人形です。馬は高さ3m、長さ5m、竹で組み、わらを張り上げたものです。

人形は鉦、太鼓に合わせ、一体を6人で踊らせます、激しい動きなので3~4組の交代が必要です。
馬は30~40人入り、鉦、太鼓、担ぎ手など合わせて、この祭りには100人以上が必要です。
このように虫追い祭りは、竹とわらで造った馬を30数名の若者が肩に担ぎ、人形は、鉦、太鼓のお囃子に合わせ、会場を練り歩く勇壮な一種の喧嘩祭りです。
全国には、様々な形で虫送りの行事として残っていますが、田主丸の虫追い祭りのような人形を戦わせるのは、現在ではあまり例がありません。

祭りの由来

源平合戦の一つ、北越前篠原の合戦で、斉藤別当実盛が稲の切り株に足を取られたために手塚太郎光盛に討ち取られたので、これを恨んだ実盛の霊が虫の姿となって稲に害を与えるようになり、その霊を慰めるために、この祭りを行うようになったと伝えられています。
それぞれ定められた場所で合戦を行い、勝ち負けを決めようとしますが、戦いの途中で馬がなかなか勝負をつけさせません。もともと、実盛の馬なので、実盛が負けそうになると暴れだすということです。
現在、3年に1回の開催で、昼の部では各会場や商店街などで行進し、夜の部では松明を灯しての巨瀨川の中での合戦で終わりとなります。

この祭りのはじまり

本来は、稲の害虫を鉦・太鼓を打ち鳴らし、夜は松明をつけ、追い払うのが目的であったが、江戸時代、虫追いをした地方は、害虫のせいで米のできが悪かろうということで、年貢が割り引かれたとのことで、この虫追いは、表面は害虫退治だが、実際は年貢をまけてもらうための行事であった。
このように、この祭りは年貢米を少なくするという実利的な面と、さらには生活を楽しむ農村部のレクレーションの一つとして 、今日まで守り伝えられということです。

日程(予定)

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左が手塚太郎光盛・・・右が斉藤別当実盛


斉藤別当実盛と手塚太郎光盛の戦い


耳納の市会場 (緑化センター)は、大勢の人、大賑わいでした。虫追い祭りはステージ前広場で(全体のプログラムのほとんど最後の演技。)3度戦いますが、その度に支えの青竹が折れるので、修理しながら戦います。



水しぶきを立てながら激しい戦い

斉藤実盛の形勢が悪くなると、割って入る実盛の馬

対岸から撮影

1日のうちに6か所でこの合戦を行ったそうですから、若い人たちでも大変な思いで頑張られたと思います。
JAの青年と手塚治虫の先祖が手塚太郎光盛だった等の話をしていて、こちらが元気を頂きました。
北陸地方で行われた源平の戦いが、田主丸の虫追い祭りに取り入れられたのか?謎は深まるばかり・・・


参考:ネット上にあった他所の「虫追い祭り」です

北川崎の虫追いyoutube 動画
(埼玉県越谷市の農家伝統行事・点火した藁の松明(2~3m)を持った多くの人たちが農道を行進
田子町の虫追い(むしぼい)「まるごと青森」のサイト 飯豊地区と細野地区
横間虫追い祭り「八幡平市」のサイト
230年前、天明3年(1785年)の飢餓の時「五穀豊穣」と「悪病退散虫追い」を祈願したのが始まりで
角のある鬼の形が特徴・男女のわら人形。

くるめんもん