宗像警部

明治9年(1876)6月20日~大正15年(1926)6月27日

消防恩師 宗像警部之像

久留米消防恩師 宗像警部

旧細川藩士宗像景員の長男で名を小平太と称し、
明治33年(1900)福岡県警察官となり、大正5年(1916)久留米警察署消防主任を拝命。
当時、久留米市民は常に火災の脅威に怯えており、市民を安心させることが消防職務上の急務で、
まず一般市民に対して夜に日をついで防火宣伝に奔走し防火思想の普及を計り、
消防意識を注入すると共に消防組自体の一大刷新を5つの目標を立てて実現に着手された。

  • 一、旧態を打破し有為の人材を得ること
  • 一、この有為(才能があって役に立つ)の人材を組織的に訓練するこP
  • 一、消防機械器具の普及とその改善を計ること
  • 一、消防水利を充実すること
  • 一、消防組員の奨励・褒賞と救済を計ること

警部は決死的な努力で消防組の改革を行い、精神的訓練と規律的観念の養成に鋭意努力の末、
組員の素質向上を成しとげ、水道敷設により水利問題も解決されるなど、
我身を顧みず久留米消防育成に奔走されたが、享年50歳の若さで逝去された。

この功績により警部(2階級特進)に昇任、
消防における献身的努力が認められ昭和6年功績をたたえ銅像建立、
第2次大戦に伴い銅を供出されたが昭和28年再建立された。

(水天宮の境内、胸像説明板による)

また、警部は、体も大きく、堂々としていたので、
大正3年(1914)10月16日にドイツ俘虜のいる久留米収容所の取締りを命ぜられた。

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