七木地蔵尊

祈願成就の参詣

〒830 久留米市長戸石5丁目  電話 0942(35)0032

七木地蔵尊前景
七木地蔵尊

七木地蔵の伝説:

古来霊験あらたかな地蔵尊として知られ、以前は平家伝説にまつわる両道院にあって、七種の巨木が幹を一つにしたようにそびえ立つ根元に鎮座していたという事から、七木地蔵の名が親しまれている。由来について確実な文献はないが、2,3の伝説はある。

昔、長門石字道場に両道院という寺があり、その跡に玉ノ井地蔵という通俗には七木地蔵といわれる地蔵があった。元亀元年(1570)-天正元年(1573)の頃、肥前の龍造寺隆信が、大友宗麟を攻めるため出陣の途中、この寺に戦勝を祈り、祈願成就に寺僧の願いを入れて、毎年洪水に苦しむ同地から浸水のない肥前千栗に移したのが、現在の大法寺である。ところがこの石仏だけはもとの寺院に帰ってきたという。(昭和12年金文堂発行の篠原正一氏著「久留米めぐり」による)

また、現在地蔵尊の前に、昭和29年8月再現された碑には、「古来長門石の地を鷲野原といい、千歳川に包まれた島で、長門石弁財天島といった。
その川沿いに大樟があってそこに、五格寺があった。平重盛の建立と言いつたえられ、その一宇両道院の一隅にこの地蔵があった。
両道院を千栗の大法寺に移した時、この地蔵尊が夢枕に立ち、長門石の地に帰りたいと言った。寺院は肥前千栗に移転したが、この地蔵尊は元の地に残った。現在の地蔵尊の位置から約200mばかりの所に八幡宮があり、その地が五格寺の跡と言われる。

本尊は、霊験あらたな地蔵尊として知られ、以前は平家伝説にまつわる両道院に七種の巨木が幹を一つにしたようにそびえたつ根元に鎮座していたことから七木地蔵尊の名で親しまれ、その下に一万部経宝剣金鶏が蔵されていると伝えられてきた。

高さ約1.83mの自然石に通肩の納衣をまとい右手に錫丈を持ち、左手を胸高く掲げて蓮座に立つ地蔵像が半肉彫りに表現され像の左側に「応永三年午十月」の銘が彫られているが、応永三年(1396)は丙子歳にあたり干支の午と子が似ているので違えたかと思われる。

長い間、旧河川の堤防際にあった本像は、昭和49年長門石土地区画整理事業の道路建設によって移転を余儀なくされ、約50m離れた現在地に7本の大樹と共に移転した。

その際、板碑の下から木彫りの弁財天像が発掘されている。

市内には応永期の地蔵碑が数箇所あるがいずれも自然石を用い、蓮座に立つ正面像が厚肉彫りで顕されており、久留米および近郊における室町時代の地蔵信仰を知る上で、また美術的にも極めて貴重な存在である。

昭和49年11月1日、久留米市文化財に指定される
資料:七木地蔵の伝説・長門石町誌

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七木地蔵尊年中行事ご案内

恩日 毎月4日・14日・24日

大祭

弁財天恩日  毎月29日

交通ご案内

JR久留米駅前バスセンター・西鉄久留米バスセンターより
長門石経由、目達原行き、または佐賀行き乗車。-長門石バス停前下車 1分

本尊の地蔵さんの他、十三佛や弁財天の他、水子地蔵、ボケ観音などが多数安置されています。

また、掲示板には、遠くは大牟田などから来た人などが書いた願い文がたくさん掲示されて、信徒さんが広範囲から参詣されている様子です。

境内の配置図

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十三仏

十三佛の後ろの壁も佛もみな、長年の線香の煙のためか真っ黒
信徒の人たちの心の支えとして信仰されてきたことが伺えます。
老若男女が大勢参詣されて、その邪魔をしないよう注意が必要。

手水場
幼児期、母に連れられて同じような事をしていた記憶が甦ります。

長門石の七木地蔵 (「筑紫次郎の伝説紀行」へlink)

*)龍造寺隆信(勇猛で「肥前の熊」と呼ばれた)
享禄2年(1529)2月15日生まれ
筑紫・肥後北部を平定し、一時は勢力を誇ったが、天正12年(1584)3月24日『沖田畷の合戦』で、有馬晴信(島原・元家臣)・島津の連合軍に討たれる。58歳

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