伊勢天照御祖神社と霊石

(別名:大石神社・大石太神宮・大石御前さん)

伊勢天照御祖神社 (いせあまてらすみおやじんじゃ)

伊勢天照御祖神社は式内社だが、「大石町」と「御井町高良山」と市内には2ヵ所あり、説が分かれる。
また、真の所在地を高良下宮の地と考える説がある。

祭神

多少相違があるが、吉田東伍(全国地誌『大日本地名辞書』の著者)
「天照御祖とあるは物部氏の速日命(にぎはやひめ)を祭れるならん」と考証している。
阿賀野市・吉田東伍記念博物館)

同神のことを『先代旧事本紀』で「天照国照彦天火明櫛玉 速日尊」としており、関連が深い。

地元の人は、伊勢天照御祖神社を大石神社と呼んでいる。

ご神体

本殿土間にある巨石

この巨石は、支石墓の上石、または、古墳石室の蓋石と推測されています。江戸時代に書かれた「筑後史」や社伝に、この石は年々大きくなるという言い伝えがあります。下記「生石信仰」に詳述

生石信仰(おいししんこう)

大石町のこの神社には、石の成長にかかわる「生石信仰」の伝承がある。

「筑後地鑑」には、
「大石村の林中に小石あり。平円にして径一丈(約3.03m)ばかり。古老に問えば、即ち曰く、吾が幼年慶長の頃、この石の径5、6尺(1尺は約30.3cm)ばかりなり。今80年を歴て、この如きに至る甚だ奇なりと」とある。

また「筑後志」によると、次のような記述が見られる。

三潴郡大石村に在り。社家伝へていふ。

  • ①往昔、大石越前守、今の神体の霊石を懐にして、伊勢国より此の地に来り、伊勢大神宮と崇め祭れりと。(伊勢大神宮にお詣りに行き、五十鈴川の玉石を拾って、持って来たという。)
  • ②古昔一老尼ありて、小石を袖にし来りて此の地に棄つ。其の石漸々肥大し、慶長年間に至り其の径方九尺、別に一箇の石、方三尺、厚三尺なるがあり、里民天照大神と崇め、伊勢御前と称し、小祠を創立すと。

何れか正説なるかを知らず。年歴も亦未だ詳ならず。

「筑後秘鑑」によれば、②「二位の尼の霊が持ち来った小石が成長したもの」と伝え、平家伝説と関連させているが、大石神社の話では、③「昔、ここの近くで誰も泊めてくれないので、森の大きな木下で石を枕に寝た沙門がいて、一晩でどこかに行ったそうだが、枕にした石はその後どんどん大きくなって今のようになった」という説も。

※二位の尼:平清盛の正室で、平時子は平宗盛・知盛・重衡や徳子(安徳天皇の母)の母で壇ノ浦の戦いで入水:文治元年3月24日(1185年4月25日)59歳

社殿は、寛永の頃(1624-1641)、藩主・有馬豊氏の命で再興し、その後も造営し直しているが、それはこの石が次第に「豊盈(ほうえい)して祠中に満つるが故」としている。

石が成長するという言い伝えは、全国で幾か所も知られ、柳田國男(柳田國男記念館・兵庫県へlink)はこれを「袂石(たもといし)」として著書『日本の伝説』に紹介している。

いずれも、熊野・伊勢・熱田・宇佐・出雲・富士・阿蘇など神社や霊山などの信仰を伴っており、参詣の途上入手した霊石を持ち帰った例がほとんどである。

石は成長するものという既成観念が神の依代としての霊石を生み、このような生石信仰に発展したのだろう。

伊勢天照御祖神社では、
神社の起源ともいわれる生石伝説「太る石」を活かし、さらなる神社信仰とコミュニティ振興を図るために、平成15年9月に境内に祈願神石置き場が設けられた。「大石抱え」も始められた。

※付近には、弥生時代頃の遺跡が拡がっています。(大石神社遺跡・速水遺跡・南崎遺跡)

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