鳥栖市蔵上町、老松神社の御田舞(おんだまい)

佐賀県重要無形文化財

今では10月20日前後の日曜日、蔵上老松神社のおくんちとして復活、奉納されている古式豊かで貴重な田づくりの伝統芸能で、各家の長男だけが出演して、伝統を守ってきた。総勢30人以上の男だけで構成・演舞されている。

歴史

景行天皇の皇子・日本武尊が熊襲征伐の折、この地に留まられたことを記念して、662年に創建された養父郡の惣社である四阿屋神社(佐賀県鳥栖市牛原町)の神事芸能。毎年4月1日の御幸で上宮-中宮-下宮と移動され、里を見て回られるので、里人は通り道を清め、神様が本宮に戻られると、四つの村々がそれぞれで芸能を奉納していた。

・牛原の獅子舞
・宿の鉦浮立
・養父のはぐま行列
・蔵上の御田舞
稲作の一連の所作を芸能化した豊作祈願の予祝的伝統的行事
約1300年前の天智天皇頃から始まったと伝えられる。

昭和29年に鳥栖の市制施行記念に復活され、古式のままで伝わった珍しい田舞として昭和34年4月、佐賀県重要無形文化財に指定されたが、5年後に中断した。

御潮井汲み

前日の四阿屋神社前、四阿屋川の水を汲んで来て、清める

当日:神事

神事のはじまり

鳥居の下から、神事のはじまり

拝殿へ移動

神主・座奉行・鬼・世話役が拝殿へ

鬼は護衛の役

鬼は下で護る

神事2

御田舞の舞台へ

祝詞をあげる

祝詞をあげる

浄め

浄め:小紙片を撒く

行事一連の流れの中で、
今まで知らなかったり、忘れてしまった意味が含まれているようです。
もっと知り、理解したいと思います。

御田舞(それぞれの歌と太鼓の囃子で進行する。)

長(おさ)(青年1人:烏帽子・直垂・白足袋・高下駄・唐扇(左手)・2m余の真竹の杖(右手)

中央の床几に腰掛ける

座奉行(青年2人:長の左右に、黒紋服に麻の裃・杖を持って先導する)

長・2人の座奉行

長・2人の座奉行

申立

申立(いいたて)流暢な長い台詞に・・周囲から感嘆の声と拍手

申立(少年1人:黒裃・白足袋・小刀・腰に白扇)

長の前に出て、舞の由来を述べる。
「申す申す、当社御田の祭は、往昔人皇39代天智天皇の御宇、春二月十五日に、忝くも四十三座の御神。この四阿屋に鎮座ましましてより、葉山狭山の蔭高く、繁き恵を照合して、祭祀の数も多き中に、わきて五穀豊穣を祈る為の祭りなるを、いにし天正の頃かとよ、兵火の災ひありて以来、恒例の規式絶々なりしを、まつた去る宝暦十年庚辰の二月より、嬉敷哉や時至り、御幸再興の時を得て、此御祭りも旧例の十か一つに復しつつ、新田佃の其の業を、うちや初て保食の神の恵も彌増り、猶も栄へん種つほの、靡きしたかふ民の草葉、雨風時しり今此御代、神徳応疑ひあらしと、謹上稽首敬白

長が舞の開始を告げる

(青年6人:折烏帽子・神紋と二条の白線を染め抜いた緑色の素襖・長袴に白足袋・鼓を持つ)

鼓歌:「七社の社のちかいとふて いんさやさらば殿原比叡山に祭らんと けふさひよ さひよう かりもそふひよ 」

鼓と田打ち 昨年の画像
手前:田打 後ろ:鼓

種蒔き(青年1人:烏帽子・黒紋服・大口袴・白足袋・小刀(腰に)・種箱を持つ

種蒔歌「 きちしゃう天の御室より(中略)種蒔き男も参りたり 月かさきてよふ 種蒔くややよふかり」
種蒔

四方に種籾をまく。これを持ち帰り、家の種籾に混ぜると、丈夫な苗が育ち、豊作になるとされた。(画像は昨年のもの)

田打(6人:向う鉢巻・胸当・手甲脚絆・白足袋・木鍬を持つ)

木鍬で田を打つ
田打歌:「天の川原をせきあけて 神の御田にかくる水 卯月の空のあけほのに春田打ちこそやさしけれかん田といひし男んの うちや初めてところよしや ようかり いんさや我らも新田ひらかん」

田打1田打2田打3

代踏(しろふみ)(1人:立烏帽子・素襖を脱ぎ垂らし、袴・白足袋で、長さ2mの「しろかき棒」を持つ)

代踏歌:「朝みとる苗二葉さいて みつん葉に根はとぞさかゆ祝ひには田をこそうえて 見るべけれ ひともとうへて 千本栄ゆる(中略) 夏山の峰のみどりの木のまより初音をもらす時鳥大空に鼓もうたず楽もせすされども月はもふてこそいる」

代踏田童1

田童(とうど)(幼児6人:額に紅点・花笠・小袖(袖飾り)・広帯・水色の襷・白足袋・左手に金紙を貼った板・右手に中啓(扇)

田童
全員、男性(昨年の画像)

(青年2人:頭に黒の馬毛、白と茶のだんだら染めの広袖着・神紋と二条の白線を染め抜いた茶色の素襖・長袴・白足袋・鼓を持つ)

鬼1鬼2
地中の悪さをするものに対して足を激しく踏み鳴らし、霊を鎮める。

太鼓(青年2人)裃・袴
手すき(歌を歌う・大人)

資料:会場の説明板・当日頂いた印刷物
ネットの「地域文化遺産 ポータル」

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