佐野常民・生誕記念碑

佐賀市川副町大字早津江津

佐野常民生誕地記念碑

佐野常民生誕地佐野常民先生記念碑の由来

佐野常民先生記念碑の由来

日本赤十字社の創設者佐野常民先生は
文政5年(1822)12月28日、佐嘉藩士下村充贇(ミツヨシ)の5男としてこの地早津江に生まれた。
天保3年(1832)11才の時、藩医佐野常徴(ツネミ)の養子となり、藩主より栄壽(エイジュ)の名を賜った。
長じて藩校である弘道館に学び、その後江戸の古賀侗庵(トウアン)、京都の広瀬元恭、大阪の緒方洪庵等につき、さらに藩命により江戸の戸塚静海、伊東玄朴の塾に入って漢学、医学、蘭学、物理学、化学、外科術、冶金術などを修め、また長崎において航海、造艦、造船、砲術などを伝習した。
文久3年(1863)三重津に汽罐製造所を建てて佐嘉海軍の創設に努力し、明治維新となり帝国海軍が創設されるや、これに尽瘁した。
明治10年(1877)西南の役が起るや、その惨状を見るに忍びず自ら熊本に赴き、征討総督有栖川宮熾仁親王にお許しを得て同年5月大給恒らと共に博愛社を創立した。
明治20年(1887)博愛社を日本赤十字社と改称して万国赤十字社に加盟した。佐野先生はその初代社長となり社業の振興に日夜努力し社名を内外にとどろかせたが
同35年(1902)12月7日齢80才で没した。
晩年元老院議官、元老院議長、大蔵卿、枢密顧問官、農商務大臣等国の要職を歴任し、同28年(1895)伯爵を陞授された。また龍池会(日本美術協会の前身)等をつくって、日本美術工芸の振興育成にも力を尽くした先生は本県七賢人の一人であり、真に
日本の偉材ということができる。
日本赤十字社は大正15年(1926)11月創立50周年を記念して生誕のこの地に記念碑を建てた。

昭和43年11月
日本赤十字社佐賀県支部

佐野常民の生誕地と常民記念館、三重津海軍所跡はすぐ近くにあり、
大川から福岡県道・佐賀県道18号で新田大橋-大野島-早津江橋を渡ってすぐ近くです。

佐賀藩の万博参加

旅程:佐賀市西与賀町厘外→船→長崎→横浜

慶応3年3月8日(横浜出航)→5月5日(マルセーユに到着)→5月12日(パリ着)

ナポレオン3世がパリ万国博覧会を開き、それに合わせ、アンリ・デュナンの活動から発展した第一回国際赤十字国際会議が開催され、博覧会場には赤十字館を設けて啓蒙活動が行われていたので、常民はこれを見て影響を受けたと見られる。

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