若津神社・雲助道中

昔は参道の正面に社殿があったという
参道から見た境内(昔はこの正面あたりに祇園山があったようです)

少将:有馬頼徸

第7代久留米有馬藩主頼徸の時代、筑後宿の大火事が、若津港の発展のきっかけの一つになったようです。

(数学者・頼徸について詳しくはこちら

この神社には数学の神様である頼徸への願い事・数学の上達、受験の祈願と報告などを絵馬(丸い絵馬:数学に関係した形)に書いて奉納されています。

若津神社(三柱神社・白峯神社 合祀)

鎮座地:大川市大字向島2089・2090合併番地

祭神

  • 素戔嗚命
  • 菅原道真公
  • 有馬頼僮(よりゆき)公

由緒:創建年代は不詳

  • 明治32年の改築の折、素戔嗚命を祀る若津祇園社に当時の境内社天満宮(菅原道真公)と境内祖霊社有馬頼僮公とを合祀し三柱神社とした。
  • 一方の白峯神社は往昔若津港の守り神として地域の関係者が関西方面より御分霊を船に乗せ勧請されたお社で、昭和十年頃の国鉄佐賀線開通に伴い筑後若津駅通りの鎮座地より遷座し、当神社へ合祀された。
  • 昔より「若津の祇園さん」として地域の信仰を集め、春例祭では有馬頼僮少将公に因み通称「少将祭」として若津雲助道中や若津にわかの奉納行事などで賑わいをみせる。
  • また有馬頼僮公は数学の神様としての信仰が篤いことでもよく知られている。

「祇園さん山」跡:

三柱神社の神苑南隅に以前「祇園さん山」と呼ばれる築山がありました。
山には一面に桜とツツジの植え込みがあって春ともなれば、小学生が遠足に訪れ夕べの桜や夜桜見物でにぎわいました。

しかし、昭和初期、神社の改築移転が行われた際に山は壊され、その土は境内の埋立てに使われ、今は跡形もなくなっています。

築山といっても境内そのものが周りの町並みより高く、その上に土盛りされたので三階建ての民家に相当するほどの高さがありました。

当時は市内唯一の展望所で北と東に登り口があり、山を一巡りする小道はゆるやかに続き、頂上は数人が同時に立てるほどの平坦地になっていました。

頂上からは南東に水田が開け、菜の花や麦の緑、北側には筑後川に浮かぶ船の帆柱、南側には若津警察署や半鐘台などが眼下に展望できました。

同じ神苑には、江戸末期の碑や明治時代の鳥居などが残っていますが、この「祇園さん山」がいつ誰によって築かれたかは定かではありません。

(大川市教育委員会)

境内の古石仏
境内の古石仏

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