善風塚跡

善風塚全景
大原小学校運動場の端にあり、すぐ後ろには西鉄電車(福岡-大牟田)線路

塚の中の木々 前の網の向こうが西鉄電車の線路

周囲から少し高く盛り上がった塚の中には30本ほどの大きな木々が茂っていますが、往時はどのようだったか、現在の景色から想像するのは困難です。
現地説明板の「中世の「善風塚」と「善風寺」のようす

昔、このあたりに「小善風」といわれる4つの塚(ちいさな丘)があり、
運動場の南側には「大善風」といわれる3つの塚がありました。
これら7つの塚を合わせて「善風塚」と呼ばれていました。

西暦1359年に起った、「大保原(大原)合戦」は、
南北朝時代(1336-1392)の「太平記」という軍記物語には
「一日の戦いで両軍合わせて5400人以上ともいう兵士が戦死した」と書かれている中世九州最大の合戦です。

大保原合戦では南朝側が優位にたち、北朝方・少弐勢は撤退しましたが、南朝方が太宰府の支配権を手に入れるまでには至りませんでした。
この戦いでは多数の戦死者がでたのですが、中でも身分の高い武将7人はここに特別に塚を造って葬ったといわれています。
また、戦死者を敵味方の区別なく埋葬し、お寺(善風寺:西鉄大保駅の約400m北側)を建てて、供養したようです。

現在、このお寺はありませんが、寺小路(てらしょうじ)という地名が残っています。

この「善風塚」は明治から昭和にかけての開発によって壊されてしまいました。
さらに1924(大正13)年には西鉄電車の前身である九州鉄道(福岡-久留米間)も開通し、
少しずつ昔の地形や遺跡は失われ、現在は、家々が建ち並び、当時を想像するのが難しくなっています。

小郡市教育委員会による現地説明板より引用

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