横隈宿とその本陣跡

横隈宿・本陣跡などの地図

横隈宿

筑前街道に沿った筑後最後の宿場で、参勤交代のため九州の諸大名はこの街道を往来していた。

有馬伊予守豊範が筑後の内一万石を賜って、寛文8年(1668)に入部するにあたり、その年12月28日に横隈宿に入り、その本陣に泊まった、その後松崎城を築城し、松崎宿が創建され、延宝6年(1674)に松崎街道が天下道となり、筑前街道が廃止されて脇街道となったため、横隈宿は次第に寂れて長い年月の間に宿場の構造は見られなくなった。

最近の調査では、旧三国村役場(横隈公民館)は昔の村蔵の跡であり、更に古井戸が最近迄あったことから、昔の「下のお茶屋」の跡であることが判明した。また横隈には宿場の構造である南北に「枡形」等が明瞭に残っており、昔の宿場の面影をしのばせるものがあり、更に風格のある町並み等が由緒ある横隈の歴史を物語っている。

昭和55年2月 小郡市教育委員会・小郡市郷土史研究会
現地、横隈公民館にある解説板を転載しています。

*)横隈は松崎藩の端になるので、有馬豊範は南南東へ4kmほどの松崎に城を構え、松崎宿を創建しています。

*)左図に享保19年(1734)頃、稲次因幡(正誠)が蟄居した跡の表示がありましたが、民家と畑地で確認できませんでした。経緯は不明ですが、後に津古に移っています。墓は松崎霊鷲寺にあります。

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横隈宿北方面横隈南

横隈公民館(本陣)→如意輪寺(奥に枡形、先方に北構口  本陣→久留米方面(府中宿)方面

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