瑞松山 霊鷲寺

由来:有馬豊範が松崎宿を整備した時、西牟田にあった寺を移した(臨済宗南禅寺派)

参道の並木を見るだけでも、格式の高さを感じます。
参勤交代の時、街道を通る諸大名は駕籠を止め、馬から降りてお参りをしたそうです。

参道の左側、「樋口君碑」と読める顕彰碑が立っています。
風化が進み、多くの文字は読めず。
樋口甚蔵の顕彰碑だと教えていただきました。

並木の突当り、やや左手の楼門
風格があり、周囲の竹林や並木と調和の取れた建物

霊鷲寺
2008年初めに再建されたという、木の香りのする美しい大きなお堂
本堂裏手には稲次因幡正誠のお墓と碑(下左右の写真)があります。


「乾叟院殿三英宗運大居士」

6代藩主「頼維(よりふさ)」の時、享保13年(1726)に起こった享保一揆を農民の立場を考えて迅速に解決し、農民には非常に感謝されたが、藩主頼維の怒りを買い、後に3千石の家老から10人扶持に格下げされ、横隈村の次助(一説次右衛門)方に蟄居。

その後、津古村の武作方に蟄居させられ、痘瘡にかかって死んでしまいます。享年38歳。

後年、久留米市の五穀神社に神様として合祀されました


傍の碑
*資料調べの中で 「側背には因幡の母堂が因幡の冥福を祈られた経塚がある」
と書かれていたのですが、写真の碑がこれかどうかは確認ができていません。

2015年5月17日:境内は、稲次因幡の墓も含めてすっかり整備されていました。

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