大中臣神社

祭神

  • 主祭神
    • 天児屋根命(あめのこやねのみこと)
  • 脇祭神
    • 武甕槌命(たけみかづちのみこと)
    • 経津主命(ふつぬしのみこと)
    • 三筒男命(みつつおのみこと)

御神徳

  • 病気平癒・災難除・武運長久

創建

  • 天平12年(740年)藤原広嗣の創建
  • 嘉禄2年(1226年)現地に遷宮
  • 天保6年(1835年)現在の社殿再建

粥占

  • 一ヶ月前にお供えした粥を例年3月11日にお開きして福童地域の農作物の出来や災害を占う。

例祭日

  • 1月1日 歳旦祭
  • 3月11日 粥占祭
  • 4月中旬 藤祭
  • 7月1日 夏祈祷
  • 7月11日 夏祭り
  • 9月1日 八朔祈願祭
  • 10月20日 東福童宮座
  • 10月21日 東福童例祭
  • 12月第1日曜日 西福童宮座
  • 11日 西福童例祭

鎮座地

  • 福岡県小郡市福童555番地
  • 西鉄「端間」駅より西へ徒歩5分
  • 鳥栖インターより車で約5分
大中臣神社の楼門
大中臣神社の楼門
  • 木造入母屋造二層(瓦葺)高さ:約10.6m
  • 縦:約4.06m 横(含回廊):約22.4m

平安時代の斎衡3年(856年)作成の筑後国神明帳(高良下宮社神明帳)に、「西福童大中臣神」の神名が記載されており、今から千百年以上昔、すでに神社が存在したことを証するもので、寛文10年(1670)久留米藩社方開基によれば、社殿その他建造物として「楼門9尺2間茅葺にて御座候」とあるのをみれば、当時楼門も建立されていたことがわかる。

ところが文政11年(1828)8月、前代未聞の猛烈な台風が当地方を襲い、家屋・立木・田畑等に甚大な損害を被り、楼門もおそらく倒壊したであろうと思われる。そこで7年後の天保6年(1835)甘木の藤次郎を棟梁として工事に着手、12月に上棟したと記録されている。 小郡市内34社中、現存する楼門は、大板井の玉垂御子神社、三沢西島の竈門神社と当社のみで、しかも、他の2社のものに比べ規模の雄大さ、美観はもとより神社の景観、尊厳、荘厳維持の面からも、市内は勿論、河北地方に於いては随一の結構で、江戸時代後期の建築技術を知る上で、学術的にも極めて貴重な建造物である。

平成5年4月27日

中大臣神社の将軍藤2中大臣神社の将軍藤1
2012年4月29日の午後6時頃撮影

5月1日、藤の花が香る中で撮影。4月23日頃より開花、夜の照明も5日頃迄だそうです。

将軍藤

この藤は根元周囲3m、胸高周囲2mで、地上1.7mから幹が分岐し、高さ2mの棚の上に枝が広がり、その被覆面積は204㎡に及ぶ。 樹勢は旺盛で、樹齢は約650年と推定される。

正平14年(1359年)、南朝:征西将軍宮懐良親王・菊池武光と北朝:少弐頼尚の両軍が激突した大保原合戦で懐良親王が手傷を負った際に、その快癒を祈って大中臣神社に祈祷をしたところ、その加護で全快したことに謝し、この藤を奉納したと伝えられている。

It is estimated to be about 650 years old. At the Battle of Ohobaru in 1359, Kaneyoshi-Shin'no was wounded, and prayers were offered at the Onakatomi Shrine for his recovery. When he got better, it is said he planted this wisteria to show his appreciation.

広さ500㎡の棚から垂れ下がる濃い紫色の花は、長いものは2m弱にもなり、毎年、4月上旬から5月上旬まで多くの花見客を集めています。

「大中臣神社由緒のしおり」・小郡市教育委員会・小郡市郷土史研究会・大中臣神社楼門保存会・将軍ふじ保存会・小郡市観光協会や 福童商工会の協賛による資料など現地解説板等より引用しました。

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