老松神社(老松宮:上岩田)

祭神

由緒

この老松宮はもと、上岩田、井上、下岩田の氏神であり、この神の鎮座地を昔は神磐戸(かみいわと)と称していた。上岩田の地名は、神磐戸から神磐田、上岩田と変わったのであろう。

大昔、神功皇后が秋月の羽白熊襲(はじろくまそ)を征伐せられ、次いで筑後国、大和県(あがた)の田油津姫(たふらつひめ)を滅ぼそうと、津古から舟にて得川(とくがわ:宝満川)を下られ、この神磐戸にお着きになった。

今の老松宮は当時の行在所(あんざいしょ)の跡で、その御駐輩(ごちゅうれん)の折、武内宿祢(たけうちすくね)をして、御剣を祀らしめられた。その不動石が境内にあったが、現在は不明、又境内に大岩窟があったが、正保年間(1644)これを破壊し、その巨石を稲吉堰の築造に利用したので今はその跡があるだけである。

昔の社殿は、後三条天皇の延久2(1070)年、上岩田の庄領家菅原家の造立で、その後、高橋城主・高橋氏、肥前・筑紫氏等によって再建され、御原郡の総社と仰がれた由緒ある神社で宝物等も数多くあった。天正14(1586)年島津勢が筑前に攻め上る際、兵火にかかり神殿末社、社宝文献等ほとんど焼失し、僅かに獅子頭、火王面が残っているだけである。その後、寛永年間(1624)文化年間(1804)に再建され、今日に至っている。享保年間(1716)までは、毎年9月19日、附近十一ケ村民相集まって盛大な神事が営まれ、大板井の地まで御神幸があっていた。明治6年に村社に列せられた。

一の鳥居は寛文3(1663)年造営である。

昔は神田も数多くあったが、今は地名(火王田、彼岸田、神楽田・・・等)として残っている。
大正5年、井上の古北神社を若宮八幡宮に合祀した。

(現地 解説板)

大注連縄が取り付けられた拝殿

境内神社

例祭日 十月十九日

昭和55年10月16日

神社総代一同

老松宮の石造五重塔

この石塔は、鎌倉時代末期、元徳2年(1330)岩田庄の住民たちの安泰と幸福(息災、延命、安穏、泰平、増長福寿)を祈念して造立された五重塔である。

石塔は、地覆、基礎、塔身、軸部、相隣の5部分からなり、鎌倉様式の間層式石塔の代表的なもので簡素な容姿を備えている。

地覆は地下に埋もれているが、基礎の石には以下の銘文がはっきり刻んである。

「奉造立 石五重塔壹(=壱)流事
右志者為天長地久御願圓(=円)満御庄領家地頭直人土民百姓殊者信心願主息災延命安穏泰平増長福壽所奉造立如件

元徳 年庚午九月一日 作人蓮性 大勧進成佛」

初層の塔身には梵字の2文字(下図)(不動明王)が四方仏として力強く刻んであり、
軸部は軸石と笠石とを交互に積み重ねた間層式で一層が欠失している。相輪も欠失しているので、宝珠を後で補充して上部にのせてある。

古老の話によると
「塔は五重の層塔であり、最上部に(下図)のような相輪があった。昭和のはじめ頃、木の下敷きになって層塔は倒れてばらばらになり、そのまま数年放置されていたのを氏子達の手によって復元したが笠石一層と相輪は不明であった」 ということである。

いくらか損傷はあるが、安定感もあり簡素で素朴な美しさが感ぜられる石塔である。

鎌倉時代のもので、年代創建者ならびにその由緒がはっきり刻まれている層塔は福岡県内には非常に少なく、筑後地区では筑後市熊野の坂東寺にあるだけである。

この老松宮にある石塔は一層と相輪を欠失しているが貴重な五重塔である。

昭和57年2月4日 小郡市教育委員会・小郡市郷土研究会

(現地 解説板)

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元徳の年号:

鎌倉時代末期の1329年から1331年まで
(後醍醐天皇の時代で「元弘」の前)。
疫病流行の凶事を断ち切るために改元された(災異改元)。
元徳年間の鎌倉幕府の将軍は、最後の将軍(9代守邦親王)、執権は北条守時。

この頃、後醍醐天皇らが討幕計画を企て、御所内で鎌倉幕府調伏の祈祷を行ったことが発覚、1331年(元弘1)に日野俊基、文観らが捕縛された。
後醍醐天皇は同年、「元弘」への改元を行ったが、鎌倉幕府はそれを認めず翌年の「正慶」の改元まで、「元徳」を使用した。

元徳とは:

仁義礼智信、正直、勤勉、忠孝、愛、勇気など、多くの徳の中、主要だと考えられたもの。
プラトンは知恵・勇気・節制・正義の四徳をあげ、中世キリスト教の時代には信仰・希望・愛の三徳をさした。

南北朝時代:

1333年の鎌倉幕府滅亡後、後醍醐天皇と足利尊氏が対立。
1336年、尊氏は京都に光明天皇を擁立し、後醍醐天皇は奈良の吉野に逃れ、
以後、57年間、朝廷は京都の北朝と吉野の南朝に分かれて争ったが、
1392年に南北朝が合一した。

境内の石碑

  • 右面)奉献青島攻撃砲弾1個
  • 正面)日独戦役記念
    陸軍歩兵一等卒 勲?等西岡種?

久留米の師団に所属し、青島の戦いに参加されたのでしょうか。

参考:

青島の戦い

第一次大戦中の(1914年10月31日-11月7日)、日本がドイツ青島要塞を攻略。

第一次世界大戦:

ドイツ・オーストリア・オスマン帝国・ブルガリアの中央同盟国(同盟国)と、イギリス・フランス・ロシアの三国を中心とする連合国(協商国、後に日本、イタリア、アメリカも加わる)の戦い。

1914年から1918年の5年間続いた戦争で900万人以上の兵士が戦死したという。

ドイツ俘虜慰霊碑(久留米市内)

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