第6回みづま黒松春祭り  


みづまの黒松

三潴町植木組合 江上克紀・国武勝義

松の緑は心のふるさと

九州筑後地方は、日本三大植木生産地として広く知られていますが、三潴地方での庭園樹の生産は数百年の歴史と伝統があり、
独特の整枝方法での庭園用の松「みづまの松」は、先人からの長年の技術研究と恵まれた環境によって今では生産技術・規模共全国一を誇っています。
松はわが国において古来から最も身近な樹として親しまれ、白砂清松の青々とした緑は人々の心を豊かにし、今日においても日本人の心に深く刻まれています。

みづまの松の由来

現在、松が植栽されている三潴町西牟田梅野は幕末のころまでは荒野であったものを明治10年に八女の庄屋、梅野和蔵が開拓したものである。
その梅野に岩熊荘太郎氏がいた。荘太郎は久留米市寺町の誓行寺の住職であった阿理成に仕えていた。阿理成は、住職を退いたのち華道、茶道、書画を教えていたが特に盆栽、造園に通じ「自然流」として一家を成し、古式に独創を組み込み新しい様式を作り出した。師の手伝いをするかたわら、器用であった荘太郎は当時主流であった赤松に対し、早い成長と環境に強い黒松にその整枝法を採り入れ、今日の黒松の原型を完成させた。
このようにして、みづまの松は、梅野の里から始まったのである。戦後の復興とともに庭園熱が高まり松の需要が増えるに従って松の植栽地域も広がっていき三潴町内はもとより近隣市町まで及んでいる。昭和51年に日造連全国大会が福岡で開かれた折、みづまの松が一段と注目を集め、北海道から沖縄までいたるところに出荷するまでになった。

庭先の植物(三潴町史より)

わが町は、いわゆる三潴の松といわれる程に、庭木としての松の植栽が盛んで、町の東部田川東から西牟田の十連寺・新栄町一帯松の木林でいっぱいである。よく仕立てられた松の木が、実に見事である。松を中心にして、岩石を配し庭園を造る造園業も盛んで、これに用いられる樹木類も多い。花を観賞するもの、実を愛するもの、花実はなくても、松・マキ・ヒノキ類、カシのような常緑広葉樹の類など50種類の樹木類がそれぞれ庭園をかたちづくっている。

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