日本三薬師

柳坂山 永勝寺

三井西国三十三か所十番札所(山本町豊田 山号)曹洞宗、もと天台宗
柳坂曽根のハゼ並木の奥に位置するお寺です。(耳納北麓map)


永勝寺入り口(六地蔵)・・階段から寺への道
車は左側から境内駐車場へ行けます。

天武天皇8年(680年)11月、天武天皇は皇后のご病気平癒を祈願のため薬師寺を建てられた。

ここ永勝寺も、祈願所として「宝祚長久万民快楽(ほうそちょうきゅうばんみんかいらく)」を祈願され、三年に一度の星祭りも行われ、その霊験の程を大いに喜ばれて寺田を賜り、七堂伽藍が建立されて三十六坊を有したと伝えられる。

降って白河天皇はことのほか尊崇され、勅願数回に及んだ。当時の本坊を禅定坊と称し「出雲の一畑」「伊予の山田」と共に日本三薬師と仰がれ、鎮西一の巨刹としてその偉容を誇った。

その後、南北朝時代の兵火、戦国期の大友氏の焼討に災り、ついで天正十五年(1567年)キリシタン大名毛利秀包が当地方を領有した時、堂宇仏像ほとんど放火に遭ったが筑後新領主田中吉政の代再興され草堂に薬師仏が奉安された。

その後は一薬師堂草庵として村民によって維持されてきたが、その間廃庵となったこともあった。現在の本堂は明治9年、戸長、村民相計って建立したもので、明治7年に建てられた説教所(この時曹洞宗になる)を正式に永勝寺として再興発展させたものである。

戦後世相は一変して、檀徒はわずかに十指を数えるのみ。堂宇を始め五百羅漢など荒廃して見るかげもなくなっていたが、昭和三十年本寺創建千三百年忌を期して庫裡を新築した。

仁王像

寺宝・その他

  1. 薬師如来像本尊で十二月八日御開帳
  2. 有馬家寄附の御厨子
  3. 大聖歓喜天
  4. 奈良・平安・鎌倉の古瓦および陶製四耳壺骨器(出土品)
  5. 金剛力士像(文化六年、石造)
  6. 大蔵経六百余巻(明治2年頃、高良山経蔵院から移る)
  7. 柳坂山昔物語(江戸期著作)

資料:柳坂曽根の櫨並木(県指定天然記念物)「ふるさとの歴史を訪ねて」より
他に五百羅漢、市文化財の「けんぽ梨」柳坂の地名の由来を思わせるアカヤナギの大木なども見られます。

この先勝寺は、隠れた紅葉の名所で、寺の裏手には筑後平野の眺望の良い場所があります。

左画像の左手に本堂があります。本堂と右手奥の庫裡とをつなぐ渡り廊下を潜り、右側奥へ進めば素晴らしい眺望が開けます。(下の画像)


見晴らしのいいところですが建物が増え、田畑・櫨並木が目立たなくなりました


ケンポナシの実

境内にはケンポナシという珍しい木があり、11/12には、落下した実をあちこちで見つけました。

(ケンポナシの大木が3本程あるそうです。)

左画像が全長20センチほどの長さで、右側の白い球体が果実部分、その花柄(クネクネした部分)が、舐めると干し柿のような味がするそうです。

ケンポナシは煎じて飲むと酒に悪酔いしたときに薬効があると、昔の本に記述されています。(変った形で、これが梨の実?と驚いてしまいます。)

このお寺には駐車場がありますので、車でも見学に来ることが可能です。(途中の道幅は狭いので、離合にはくれぐれも御注意下さい。)

玄圃梨(ケンポナシ)はクロウメモドキ科の山野や渓谷に自生する落葉高木だそうです。

(「四季の山野草」緒方出版に詳細が記述されています)



境内の斜面には五百羅漢などの祀られている堂がいくつかあります。


このお寺で、幼い神子栄尊師(大善寺、朝日寺の開祖)が修行されたという話が残っています。


home ・ map(みのう北麓)