草野又六


発心公園にある又六像(発心公園左手やや奥:案内板はありません)


発心公園の下にある草野又六の墓碑
発心公園へ上る手前、四つ角左側に案内あり

また藩主則維の実施した正徳検地では検見役添役として功績を挙げた。

大正5年11月、5庄屋(鏡村・高山六右衛門、稲敷村・中垣清右衛門、八重亀村・秋山新左衛門、高島村・鹿毛甚右衛門、早田村・丸林善左衛門)と共に従五位を贈られ、大正14年、5庄屋とともに大堰神社に祀られた。

また、昭和44年10月には「筑後川開発の父、草野又六」と銘して、その胸像が草野町発心公園東側に建立された。

*)秋山新左衛門:御井郡八重亀村の庄屋で大正5年11月に従5位追贈。大正14年11月29日に大堰神社に合祀された。
秋山家はもともと井上姓で、筑後国発心城主・草野鎮永の家老・井上次部左衛門重次がその先祖に当たり、
豊臣秀吉に南関で誘殺されて滅んだ時、井上氏も浪人して御井郡八重亀村に土着。
慶長・寛永年間、二代目・井上清右衛門重政は藩命で八重亀村の庄屋となったが、重政に子がなく、
北野村大庄屋・秋山与一右門の長男・重信を養子にする。床島堰築設の功労者・秋山新左衛門重賢は家祖より6代目にあたる。

工事完了後には、その恩恵を受けた灌漑地域は、38か村、現在地区では北野町のほぼ全域、大刀洗町の大部分、久留米市宮ノ陣地区のほぼ全域、小郡市の一部に及んでいる。

(久留米人物誌:篠原正一)

草野又六伝(筑紫次郎の伝説紀行へlink)

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