

四月十一日、日曜日は大分県玖珠郡玖珠町に行ってきました。
この町の岩室相の迫という地区で行われた93’筑後川フェスティバル「よみがえれ水源地域の山林」大植林大会に、わが久留米市山本町の「柳坂生産森林組合」を代表して参加いたしましたのです。
一昨年秋のあの凄まじかった台風による風倒木・風折木の惨状にはあらためて驚かされました。そのうちの一部(とはいえ広大な面積ですが)を、倒木を撤去したり焼き払ったりして地ごしらえし、筑後川流域の各種団体を動員してのこの日の植林作業には、児童たちも参加していましたし、テレビキャスターの筑紫哲也氏の姿も見かけました。
遅参したわたくしは久留米勢とは合流できないまま、通りがかりの大会世話人からヒノキ苗を二本もらい、穴も掘っていただいて植え付けしまして、辛うじて大会参加の名目を保ったことでした。

・・・台風であれだけやられたのに、またスギ・ヒノキばかり植えてもいいのだろうか、きょうの案内文にはモミジやサクラも植えるという文句があったようだが、それらは谷筋や幹線道路脇に観光用に植栽するということで、植林事業の主力はやはり針葉樹なのか。
そういえば、さきごろの森林組合長会議の席上で配られた文書にも、「二十一世紀は国産樹の時代」という文句があったな・・・
そんなことを考えながら、花冷えの季の風に吹かれつつ大会センターに戻り、思いがけず秋吉迪子さん(久留米の自然を守る会事務局長)と出会ったことから、久留米市からの一行に合流でき、世話役の市職員にもあいさつすることができました。
植林大会が終り、支給された弁当を食べたところで、わたしも帰途につきました。来たときと同じ、テーブル状の山容を見せる岩扇山の裾をたどる、長い長いカーブの多い道でした。下りきったところで、あの童話の久留嶋武彦の記念館がある森町をしばらくぶらつきました。
久留嶋記念館の正面は見事な格子づくりでした。館内を見学したかったのですが、戸は開くものの、いくら呼んでも誰も出て来ません。土間に立ち入って待つことにしました。
「明治四十四年(一九一一)竹瓦屋根時代の森町」というタイトルを付した古写真が掲げてありました。「天保十二・明治三年の火災と、十六年、二十三年の大火後の町は大正末期まで九割が竹瓦屋根であった」と説明が付いています。
なるほど、画面には白っぽい平たい屋並が連なっていました。
竹瓦屋根のことを、わが筑後地方ではタカゴウラ屋根と呼んでいました。
間に合わせものとしてこれで主屋根を葺くこともありました。なかなか風雅なものでしたよ。
久留嶋記念館の管理人さんはなかなか帰ってこず、諦めて近くの「わらべの里」に立寄りました。
ここで、農家の竹スノコ天井を描いた大作の油絵を見ました。日田市岳林寺住持・永淵正彦氏の作。
わたしの愛読雑誌「サライ」の最新号では「竹のある暮し」という特集を組んでいます。
表紙にはステキな形と色調の民具「箕」の写真があり、これが気に入って、二冊買い込んでいます。


わたしたちのふるさとの山・耳納山脈は、久留米市から大分県日田市境までほぼ30キロ、筑後川中流のゆったりとした流れと平行して、
程よい高さの峰々を東西に連ねた、ハゲ山などは見当たらない、緑いっぱいの山地です。
山脈の西端に位置する高良山周辺には、シイ・クス・ツバキ・ヤマモモなど見事な照葉樹林。宝庫といわれる各種のシダ類自生地。
聖域とされる多彩な野鳥、昆虫の飛来・棲息地。
この山から東へ、かっての峠道を辿ってゆけば、スギ・ヒノキの人工林に包囲されながらも山ザクラやアセビの古木、サザンカ自生林が目を楽しませ、
微風にゆらぐ竹林も健在。各種の山野草、木の実、山菜も豊富。穴熊、ムササビ、サンショウウオなども棲んでいます。
日本一のグライダー発進地として知られる発心山頂から山脈最高峰の鷹取山一帯にかけて、上代・中世の山城跡が点在し、
西の高良山山頂部を囲む謎の石塁・神篭石や山麓浮羽平地の装飾古墳群と呼び合うかのようです。
北筑後と南筑後の境に屏風のように立つこの耳納連山からしたたって里を潤し、筑後川へ流れ下る幾十筋もの谷川。
これらの土手には、江戸時代に木蝋の原料樹として植えられた櫨の木が並木として連なっていました。
かって櫨は、筑後経済の母体でありましたが、また、筑後の美術・詩歌の土壌的存在でもありました。
その象徴的人物が、かの天才画家・青木繁です。彼の歌碑が、その名も耳納山という峰の直下に座す兜山にあって、早春に記念祭が営まれます。
耳納山脈北麓の扇状地形平地は、かの大化の改新以来、隅々までよく耕されてきましたが、これまで大規模な工業的開発がなかったため、
古代から現代までの歴史がよく残っています。
数多い古墳は言うまでもなく、大小およそ200といわれる神社仏閣、伝統的民家の点在、草野や吉井の町並み、大正ロマンの名残り洋館建築など。
これらのほかにも、目立たないかたちながら、天与の自然に溶け込んで北麓に住んできた人たちの営みのあとが随所に見出されるのです。
☆ 自然・歴史との素朴なつきあいをめざす
「耳納自然学校」では、ともかく、自然や歴史とのナマのつきあいから始めることをモットーにします。箱(建物)にこもっての学習やプロの先生依存の実習でなく、
現場・現物主義、ふれあい優先で、いちばん素朴なところからやっていこう、というシステムです。
生きる喜びの表現として、誰でもがやりたい、やれることを、自然体でやろう、その基本的な手助け、アドバイスを、自然学校のスタッフがいたします、ということです。
「町おこし・村おこし」を言う前に、まず「人おこし」を、という考え方です。
***************************
西日本水車協会、市民水車大学、久留米の自然を守る会、久留米野草の会、牟田山造詣教室、久留米写生短歌会、桜井資久、古賀雅子、倉富敏之(九州クラフトデザイナー協会理事)、池森寛(西日本工業大)、大石道義(西日本短大)、香月正義(民謡)、角松光子(久留米文学同人)、大中乾太郎(陶芸家)、森田喜子(ダンス)
TEL・FAX(0942)43−2143
*****************************
福岡県浮羽郡から久留米市にかけて耳納連山という小高い山郡があります。広々した筑後平野に、びょうぶのように立つのでどこからでも望め、地元の人には身近な山として親しまれています。
この山にいっぱいある素材を生かして、楽しみながら人と自然とのかかわりを考えようという「耳納自然学校」が近く開校します。
準備を進めているのは、同市山本町豊田、県指定の天然記念物「柳坂曽根の櫨(はぜ)並木」そばに住む香月徳男さん(六六)らです。
同連山にはシイ、クス、ツバキなどの照葉樹林のほか、各種のシダ類、野草が自生。ふもとには多くの神社・仏閣、かやぶき、白壁造りの民家など、都会では味わえない魅力がいっぱいあります。
各種カルチャースクールが盛んですが、建物にこもって、教材も用意された物を使うのが一般的です。香月さんたちが考えているのは、まず現場に足を運ぶことから始めようというのです。
例えば、カズラ編みや竹器を作ろうと思えば、山林の持ち主の許可を受けて山に登り、自分たちで切り出す。野草観察に出かけたり、史跡探訪、都会でニワトリを飼いたいという人には、飼育法や小屋の作り方を伝授するなど、ユニークな講座を計画しています。
「生徒」同士の触れ合いを最優先し、屋外中心の「教室」では、よそゆきでなくそれぞれの方言で話してもらうことにしているそうです。
学校の運営には、西日本水車協会や久留米野草の会、クラフトデザイナー、歌人らが講師として支援します。
香月さんは「みそやとうふを作ったり、昆虫採集、俳句、短歌など、子供からお年寄りまでが楽しめる講座を予定しています。それぞれの生きがいを見いだしてください」と話しています。
開校日は原則として土曜、日曜。入会金は一人二千円。
受講料は未定。
問い合わせは香月さん(0942・43・2143)へ。
こちら社会部は(093)531・3236
◆(092)725・2205
***********************************************************************
***********************************************************************