水車小屋の図香櫨亭通信の タイトル

第5号

平成3年(1991)
1月26日発行


個人通信の図

耳納山地北麓に手作り文化のネットワークを

「香櫨亭通信」なる個人通信も本号でようやく第五号ということになりました。三十部限定ということにしておりますが、お届けした方から継続購読したいなどとおっしゃっていただくと、嬉しいながら恐縮してしまいます。そしてこう申し上げることにしているのです。「あなたも個人通信をお出しになりませんか。私のと交換しましょう」

*楽しいですよ、個人通信

なるべくページ数を少なくし、発行部数も小さくしながらも、シコシコと出し続けるのがいいのです。
 大新聞大雑誌の網をくぐり抜け、業界紙社報、タウン誌、グループ誌のフィルターをもかいくぐったところから、個人紙(誌)発行の視野がひらけてまいります。


 
紙芝居の図

「紙芝居」なるものをみずから演じてみたいと考えるようになってから、何年たったのだろう。
ヘタでもいいから絵も自分で描く、箱も手作りする。物語りも自作でと、妻に企画を話し、友人に抱負を述べ・・・
準備不十分ながら近くスタートすることにした。そしてまた、人に言ってる。「あなたもおやりなさい。ご自分のドラマを、夢を語りなさいよ・・・」*いまさら紙芝居・・・
 整った、美しい、鮮やかな切りくちの画面・・・ピッタリした時間運び・・・見慣れた顔の俳優たち・・・
 そんな、電気じかけで動く映画やテレビを、ひたすら受け身で眺めることをそろそろ止めにしませんか。
 予定時間は延んだり縮んだり・・・ストーリーもあっちゆきこっちゆき・・・アドリブもしばしば・・・
 観客の声もパフォーマンスも飛び込んでくる・・・絵はどう見たって下手だが、観客のイメージがそれを補う・・・
 紙芝居には、こんな楽しさと面白さが、あるように思うんですが・・・

五右衛門風呂の女性

そして・・・五右衛門風呂も
 腐るほどある薪を生かして、心も暖まる赤い火の五右衛門風呂(釜風呂)を沸かしましょう。石油やガスを節約、灰まで活用する山小屋ふうの風呂場を山麓に点在させて、交流の場に。

*五右衛門風呂については
 この香櫨亭通信の第二号に特集として書きました。薪を集めて、自分流の火で、沸かす。・・手作りのお湯加減。


杉木立

間伐材のこと考えてみよう・・・(五年前に書いたエッセーだが)

どこへ行ってもスギやヒノキの人工林ばかり。これを見事だ立派だと讃える人が多い。かっての私もそうだった。
 けれど単相林のモノ・カルチュアにはもう飽き飽きした。スギやヒノキの密生林のしたには殆ど何の木も生えてはおらず、言うなれば死の世界である。暗く、陰気である。それは森の神秘的な深さというものとは別のものであり、ましてや荘厳な雰囲気という感じのものでもない。
 スギは直立根で弱い木だというし、山の地盤を保持する力に乏しいのだそうである。風や雪で倒木して裸の地表が露出したところへ大雨でも降ったらコトだ。そこから山崩れが始まる。
 こんなモノ・カルチュアの危険な山林が、いま、日本中に満ち満ちている。そしてスギ材もヒノキ材も売れ行きが極めて悪い。安い外材がどんどん輸入されてきているのである。人件費が高いくせに働き手が集まらない日本の林業の先行きはきわめて厳しいという。
 ではスギ・ヒノキの単相林には救いはないのだろうか?

 

そんなことはない。モノ・カルチュアといえどカルチュアに間違いはなく、単相林といえど林であることに変わりはないのだ。
 これまで営々と植えられ育てられてきた単相林は、これ、貴重な遺産であり財産であることを忘れてなろうか。私たちはこれを存分に活用して先人(かくいう私も少年時代から県営の或いは我が家の植林に働いてきた)の恩を享受しなければなるまいと思うのである。
 おりしも我らが国土のスギ・ヒノキ林は史上空前という間伐期を迎えたのである。しかし、さきにも書いたように人件費の高騰と働き手の不足で、必要な間伐が進まないまま、せっかくの手間ひまかけて成果を生かすことができず、間伐した材もほったらかしで暗い林間で腐ってしまっているのである。コヤシになるではないかという話もあるが、コヤシなら葉っぱで十分だろうではないか。垂木なり小柱なりその他の小物材なりに使えるものをいたずらに捨ててしまうなんて、もったいないことではあるまいか。
 間伐材の利用はかなり研究されてきていて、私なんぞがとやかく言うことはないようでもある。しかし、これから相当に長い期間にわたって続くと思われる人工林の間伐時代に際しては、いい加減な、厄介ものあつかいのような姿勢ではなるまいと思うからの私の一言である。私の意見を一口で言えば、それは、この史上空前の間伐期を、一つの文化の享受の問題として受けとめよう、ということなのである。

(一九八六・五・二九)

耳納山脈は宝の山です。

「耳納山脈は宝の山だよ・・・」兜山の南、《阿吽(あうん)の森》に住む画家の丸山桂三郎さんが、何年か前、こう言ったものです。この場合の耳納山とは、耳納山脈一帯の意味だったのですが、丸山さんは特に山本町から草野町、高良内町あたりにかけての地域を意識しての言葉だったようです。
 しかし、標高六百から三百くらいの低い山並みのその尾根筋は、景観としてはなかなかのものだが、生活資源の場としてはあまり良くないのだ、と丸山さんは言っているように私には聞こえました。
 低い山でも、その山頂筋には、いわゆる頂上現象というものがあり、気象はそれなりに厳しく、土地は痩せているものです。《阿吽の森》もまあ、そんな所なのです。
  丸山さんは、山頂筋から少し降りてきたあたりから麓の集落までの斜面地帯をすばらしいと言います。
 「昔に比べたらずいぶんと減ったが、雑木林もあるし竹山も少しはある。水も涸(か)れたことはない。自然の果物も多いし、鳥の種類も豊富のようだ。誇張でなく、宝の山だなあという実感がある。香月さん、あんたはいい所に住んでいるよ」
 丸山さんがそう言っても、「そうかなあ・・・」と思っていた私でしたが、近ごろ、ほんとにそうだ、と思うようになってきたんです。

曲り材も使えるよ
ロッキングチェアの図

《間伐材文化》が存在し得る。

昨年十二月十一日付け毎日新聞の筑後版に「耳納山地の『宝』を生かせ」としたタイトルの大きな記事が載りました。
 サブタイトルは「浮羽郡に『村おこし会社』余剰材でログハウス」でしたが、この記事のきっかけとなったのは、久留米支局の松藤記者が紅葉の季を迎えた櫨(はぜ)の取材・・・。

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昭和六十二年(一九八七)に書いた私の原稿はここで切れている。じつは、ワープロが故障して、フロッピーに記憶させていた後の文章が取り出せなくなったのである。
 それから四年以上たって、香櫨亭通信・第五号に、かく登場した次第・・・。

毎日新聞久留米支局の松藤記者が我家に櫨(はぜ)の取材に来られたとき、私は《間伐材文化》についていろいろしゃべり、松藤記者が浮羽方面に取材に出むいてゆくきっかけをつくったことであった。

 
わがこころの風景

かつき とくお

田んぼの中の水車の絵

むこうに見える小さな草屋根の家は、私が生まれた熊本市郊外の家によく似ている
その前のゆるい坂道は、三歳から九歳まで住んだ寺下の
 やはり小さな草屋根の家にゆく道に似ている

九歳から六十歳のこの年まで住んできた家も、小さな草葺き屋根である
      (願わくば、この屋根の下で生を終えんことを)

いま、眼前にゆるゆる回る小さな水車は、私そのものだ
はぐれ田んぼをまかなう、のらのらの風情がそっくりだ

筑後川最上流の揚水車 大分県玖珠郡九重町茅原小野

筑後川最上流の揚水車

大分県玖珠郡九重町茅原小野
 九州の尾根・九住連山への登山道の傍らにある。揚水車としては筑後川の最上流に位置する。
そして、水車場の風情としては、国内でトップクラスの格を保持するものだ。
径3メートル程度、10アールの水田を養う

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