

第5号
平成3年(1991)
1月26日発行
耳納山地北麓に手作り文化のネットワークを「香櫨亭通信」なる個人通信も本号でようやく第五号ということになりました。三十部限定ということにしておりますが、お届けした方から継続購読したいなどとおっしゃっていただくと、嬉しいながら恐縮してしまいます。そしてこう申し上げることにしているのです。「あなたも個人通信をお出しになりませんか。私のと交換しましょう」 *楽しいですよ、個人通信 なるべくページ数を少なくし、発行部数も小さくしながらも、シコシコと出し続けるのがいいのです。 |
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「紙芝居」なるものをみずから演じてみたいと考えるようになってから、何年たったのだろう。 *いまさら紙芝居・・・ |
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そして・・・五右衛門風呂も *五右衛門風呂については |
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間伐材のこと考えてみよう・・・(五年前に書いたエッセーだが)どこへ行ってもスギやヒノキの人工林ばかり。これを見事だ立派だと讃える人が多い。かっての私もそうだった。 そんなことはない。モノ・カルチュアといえどカルチュアに間違いはなく、単相林といえど林であることに変わりはないのだ。 |
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「耳納山脈は宝の山だよ・・・」兜山の南、《阿吽(あうん)の森》に住む画家の丸山桂三郎さんが、何年か前、こう言ったものです。この場合の耳納山とは、耳納山脈一帯の意味だったのですが、丸山さんは特に山本町から草野町、高良内町あたりにかけての地域を意識しての言葉だったようです。
しかし、標高六百から三百くらいの低い山並みのその尾根筋は、景観としてはなかなかのものだが、生活資源の場としてはあまり良くないのだ、と丸山さんは言っているように私には聞こえました。
低い山でも、その山頂筋には、いわゆる頂上現象というものがあり、気象はそれなりに厳しく、土地は痩せているものです。《阿吽の森》もまあ、そんな所なのです。
丸山さんは、山頂筋から少し降りてきたあたりから麓の集落までの斜面地帯をすばらしいと言います。
「昔に比べたらずいぶんと減ったが、雑木林もあるし竹山も少しはある。水も涸(か)れたことはない。自然の果物も多いし、鳥の種類も豊富のようだ。誇張でなく、宝の山だなあという実感がある。香月さん、あんたはいい所に住んでいるよ」
丸山さんがそう言っても、「そうかなあ・・・」と思っていた私でしたが、近ごろ、ほんとにそうだ、と思うようになってきたんです。
曲り材も使えるよ

昨年十二月十一日付け毎日新聞の筑後版に「耳納山地の『宝』を生かせ」としたタイトルの大きな記事が載りました。
サブタイトルは「浮羽郡に『村おこし会社』余剰材でログハウス」でしたが、この記事のきっかけとなったのは、久留米支局の松藤記者が紅葉の季を迎えた櫨(はぜ)の取材・・・。
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昭和六十二年(一九八七)に書いた私の原稿はここで切れている。じつは、ワープロが故障して、フロッピーに記憶させていた後の文章が取り出せなくなったのである。
それから四年以上たって、香櫨亭通信・第五号に、かく登場した次第・・・。
毎日新聞久留米支局の松藤記者が我家に櫨(はぜ)の取材に来られたとき、私は《間伐材文化》についていろいろしゃべり、松藤記者が浮羽方面に取材に出むいてゆくきっかけをつくったことであった。
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田んぼの中の水車の絵むこうに見える小さな草屋根の家は、私が生まれた熊本市郊外の家によく似ている 九歳から六十歳のこの年まで住んできた家も、小さな草葺き屋根である いま、眼前にゆるゆる回る小さな水車は、私そのものだ |
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筑後川最上流の揚水車大分県玖珠郡九重町茅原小野 |
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