水車小屋のカット香櫨亭通信 タイトル

第13号

平成8年
(一九九六)5月15日発行


亭主のひとりごと くらい歌は読みたくない

個人歌集(短歌)はあまり読まない。自分もときおり投稿するから、新聞の投稿入選作には毎日のように目を通すが、どうもくらい歌が多いように思う。常連の入選者は老人が多いせいでもあるか、老・病・死の嘆き節みたいな歌が目立つ。作歌力はあるから、どうしても彼らの歌が入選してしまうのだが、うんざりする。また、この人のこんな歌かと思ってむかつくのである。これはまさに老害・・・というものだ。
『あんたなあ・・・ご自分はそれで胸中の鬱がいくらかでも散じているのでしょうが、それを読ませられる者の身にもなって下さいよ』と叫びたくなるのである。
俳句にはそんな鬱がないように思うがどうかな。

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この人が歌を作ったら、どんな歌が・・・
西日本新聞 平成八年(一九九六)五月二十五日(土) お達者インタビュー

バイクで町を走り回る 26年間、無事故無違反

福岡県筑紫郡那珂川町 田中キミヱさん(88)

趣味のゲートボールや社交ダンスの教室には、今もバイクに乗って出掛ける。ドライバー歴三十六年。今年三月には免許を更新した。「どんなに自分が用心しとっても、人様に迷惑を掛けたらいかん、もう、今年はやめておこうと思いましたけど、更新のお知らせが来て・・・・。警察に行ったら、受付の方が、まあて言うて笑わしゃったとですよ」

無事故無違反で免許更新を迎え、愛車に張っている優良運転者のステッカーがまた、一枚、増えた。「大きい車がくれば、通り過ぎるまでバイクから降りて待ってます。人に迷惑をかけますし、自分もけがをすると困りますし」。更新の時には、一九六九年十月から今年三月まで、無事故無違反を証明するカードももらった。

「私はおてんばですと。男か女か分からんごと育っとりますけん」。自転車ならまだしも、バイクに乗る女などごく少数だった世代。バイクの話となると、そう言って笑いが止まらない。ゲートボール仲間には、もうバイクや自転車に乗る人はいないため、今も球などの道具をバイクで運ぶ。

福岡県筑紫郡安徳村(現在の那珂川町)の生まれ。八歳で母と死別した。「後から来た母さんが自分の子と分け隔てなくして、ようしてくれました。おかげで、私は何でもしたい放題でした」。父は、牛を使って馬車を引っ張らせるなど、畑仕事も山仕事も男と同じように扱った。「髪の毛でもボサッとしると、やかましかったです。その厳しさのおかげで、今の私の幸せがあるとです」

数えの二十三歳で結婚。夫はれんが職人で、キミヱさんは、一fほどの土地で米や麦を作るかたわら、和裁や洋裁、編み物で家計の足しにしていた。夫も十四年前に他界。子供にも恵まれなかったため、今、一人で暮らす。

昨年十一月、そして、この五月に両目の白内障の手術を受けた。「おかげで両方きれいになって。針穴もどうせんでもすっと通るようになりましたと。それがうれしうございます」。入院中には、腹違いの妹が付き添ってくれた。「一人になって人の愛が身にしみます。本当に、みなさんがようしてくださいますから、幸せですとよ。それに、時々、おたくのご主人の作った塀やら蔵が今もきれいにしとりますと言われたりしましてね」。話をしていると、そんな感謝の言葉を、何度も何度も口にする。

「ゆっくりしとったら、ダラーっとなって何もしたくなくなるから、趣味の手描き染色やらゲートボールをしたり、カラオケで歌ったりして、健康なままさっと死ねたらいい、それまで元気で楽しく過ごしたいと思ってます」 

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香櫨亭主が任意に選んだ、明るい、人生を肯定的にとらえて詠んだ歌を紹介する。
数年にわたり、新聞から抜き書きしてきたものだ。
くらい調子?の歌も紹介したかったが、それらを批判的に紹介するのは作者に失礼だから、やめました。

老い二人にこんな老後が有るなんて 梅ふむ庭に鶯も鳴く (平成五・二・一三 毎日歌壇)沼津市・木村哉芽
一切れの白菜漬けに満足しかくも たのしきひとりの暮し (平成五・二・一二 読売歌壇)串間市・山崎百合子
散らかしてそのままに寝る気楽さよ 老いの二人のたつき咎むな  (平成三・七・六 毎日歌壇)所沢市・浅野広三郎
老い母は白装束を縫ひ終えて 心整へ惑いも見せず                    杉浦康代
紅白の餅見て婆さん呟けり 生まれ変らにゃねえ爺さん    (読売歌壇) 益田市・岡崎定信
算盤の音に心はなごむなり この歳までを生きてうれしき (平成五・十一・二十 毎日歌壇)名古屋市・伊藤 育
病みがちの妻の機嫌のよき今朝の パンこんがりと焼き上がりたり (平成六・十・一七 読売歌壇)筑紫野市・井崎辰巳
七十の手習とこそ人は言へ 我には楽し少年のごと (平成三・六・二十九 毎日歌壇)伊予三島市・大西研一
今宵また妻と二人で飲む酒に 頼もし妻の憂国の弁    (平成六・七・二十六 読売歌壇)三好英治
古稀すぎて友は離島に移り住む 自ら選ぶ単身赴任            (同 左)東京都・富田康臣
   

わたくし香櫨亭主が抜き書きした、老いを詠んだ短歌はまだまだたくさんある。いつかまた紹介したい。

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わがこころの風景 <5>

ダゴ棟の屋根 八女市にて(昭和42年)ダゴ棟の屋根 八女市(昭和40年)薄暮のダゴ棟屋根のシルエット 八女市にて(昭和42年)    

左の写真三枚は、いずれも三十年ほど前に八女市で撮ったものだ。

上から順に、

  • 昭和42年
  • 昭和40年
  • 昭和42年撮影のもの。

そのころ、八女市とその周辺地区では、こんな、ビビッドで、野性味豊かな棟飾りがふんだんに見られたものだ。ダゴ棟と呼ばれていたが、国内でも類を見ないユニークな存在として広く知られていた。

こんな棟を作るのは大変だった。屋根葺職人の手間賃が普通の葺き方の三倍かかった。 それをあえてするのが、家主の見栄であり誇りでもあった。

やがて、屋根にはトタンが掛けられ、ダゴは姿を消した。そして八女の民家は活気を喪失していった。

それでも、いまなお、ダゴ棟はわたしの脳中で犇いている。

水車小屋のカット

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