水車小屋カット香櫨亭通信

第12号

平成8年
(1996)5月24日発行


続 亭主独白

前々号、前号で発行部数一部の個人誌を出す覚悟?めいたことを記したが、まだ言い足りない、というより、まだ自分でもスッキリしないところがあった。

こりゃ、わたしなりに一応の理論武装?が必要だな、と考えていたおりもおり、きょう午後、久留米郵便局窓口で貯金ひきおろしの手続のあと、ふと手に取った無料配布の小雑誌の記事に面白いのがあったのだ。
郵政省広報誌「P&T」5月号。表紙絵のカーネーション(イラスト)がスカッと美しかったので、何かの貼絵にでもするかと思って持帰ってきたのだった。

パラパラめくっていると、情報モノローグ、なるタイトルの見開きページがあり、松村要二という人の談話が載っている。
この人もまた、インターネットとかなんとか、こうるさいことを得々としゃべっているのだろうよ、と思ったものの、まあ読んでみるかと目を通していたら、深く共感を覚えるところがあった。
その箇所を拡大コピーして、次ページに転載さしていただいている。

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一対一のコミュニケーションを大切にしたい:松村要二

アーティスト。武蔵野美術大学映像学科特別講師、山脇美術専門学校ジュエリーアート科特別講師。1975年クランブルック・アカデミー・オブ・アート彫刻科卒業。1979年バージニア・カモンウェルス大学院彫刻科卒業。1973年以降、アメリカや日本国内で数々の個展を開催。最近のおもな個展は1991年「Celebration」マットレス ファクトリー/ピッツバーグ、1995年「Installation in Honen−in」法然院/京都など。

作品をつくるときには、だいたいこういうものができるかな、と思える時点で、観客の側に回るようにしています。作品をどこで終わらせるかを決めるためです。一〇ある情報をすべて出せばいい作品といえるかというと、そうではないんです。わざと未完成の部分を残すことで、見る側が一〇以上のものを感じとってくれることもあります。

完璧な作品は、つくり手の意図が込められ過ぎていて、見る人を息苦しくさせるんです。いくらおいしいから食べなさい、といわれても、自分から食べたい、と思わなければおいしくないですよね。それがわかってからは、あえて足りない部分をつくって、あとは見る人のイマジネーションに任せています。ですから、作品を見た人が、作品からだけでなく、作品を含めた回りの雰囲気や気配など、実際には見えないようなものまでを感じとって「なんとなくホッとする」とか「初めて見るのに懐かしい気がする」というように、自分なりの感想をいってくださるようなときには、とてもうれしいですね。つくり手である私が伝えたかったこと以上のものを感じとってくれているわけですから。

本来コミュニケーションというのは、送り手と受け手、一対一の双方向であるべきなのに、最近は一対多のコミュニケーションが多すぎるような気がします。テレビや新聞にしても、受け手が応答できないような情報の流し方をしているし、話題のインターネットにしても、一対多のコミュニケーションが主流です。なんだかコミュニケーションのためのハードウェアが進歩すれば進歩するほど、逆に自分の思いを伝えたい、という欲求が強まっていくような変な矛盾を感じます。

そういう意味で、手紙はますます重要なコミュニケーションの手段となって残っていくと思うんです。その人だけのために書いて、相手も自分のためだけに書いてくれる。行間からは人柄が映しだされるし、文字も残ります。自分だけに送られてくる言葉と、不特定多数に送られる言葉とは明らかに違います。対個人のコミュニケーションは大切にしていきたいと思っています。

(以上)

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これらのこと(松村氏がおっしゃってること)は、まさに、かねて私も言い続けてきたことではないか。
スターはいらぬ、みんなが自分の歌をうたえ、絵を描け、たくさん発行するな、個人誌を交換しよう、きっちりした仕事は指向するな・・・等々。
香櫨亭通信の中にもこのことを書いてきた。とくに五号、十号。
自分の考え方の先進性に少し自信が付いてきた。・・・

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わがこころの風景4

わがこころの風景 <4>

晩春である。 向かいの山の杉林の中に竹林の一劃があり、そこだけ風が吹いているかのように、揺れている。

竹は優しい。優しいが強い。草葺屋根の棟をりりしく包んで、厳しい日照や風雨から守る。屋根の内側にも竹は縦横に張りめぐらされていて、葺草の荷重をしっかり支えている。
陽と風と雨に晒されて、洗いざらしのジーンズのような質感を見せる草屋根のすがすがしさは、他のどんな葺材料にもないものだ。

谷の方から、かすかに、河鹿らしい鳴き声が聞こえてくる。この里にはまだ車のあわただしい往来はない。
 昭和四十四年(一九六九)五月二十八日。浮羽郡浮羽町小塩の宮という集落で見た景であった。

あれから何年か経って、わたしがまたこの里を訪れたとき、民家の屋根はほとんどがトタンをかぶっていた。車がひっきりなしに石垣とたんぼの間を駆けぬけていた。休耕田もあった。

以来、訪ねることもなかったこの里だが、二十七年前の鮮烈なイメージは消えることなく、脳中にある。

いま、浮羽町は農林省?から、全国で四箇所のグリーン・ツーリズムなんとかの指定を受けて、その展開を模索中だという。

トタンがめくられ、草屋根がもう一度、陽を照り返すことになったら楽しい、などと手前勝手なことを願っているわたしであります。

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香櫨亭通信発行所 発行人:香月徳男

不定期刊(目標は月3回)
1部50円(郵料は別) 

〒839−11
久留米市山本町豊田1582−2 

TEL・FAX 0942−43−2143

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