

第11号
平成8年
(1996)5月23日発行
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草いちご(木本)の実が熟れてきている。きのうは妻が友人(田中ミエ子さん・牛島さん)と近くの山に山菜採りにいって、いちごも少々採ってきていた。赤い実である。
山茶も摘んできていて、きのうは、台所のコンクリート床の上にネコダを敷き、茶もみをしていた。楽しそうでもあり面倒くさそうでもあった。写真を撮った。
今朝も、今夜も、その茶を飲んだ。なかなかの味。(妻がお茶の葉揉みをしている写真は次ページに・・)
さて、この香櫨亭通信、きのうから毎日発行ときめたから大変なのである。ヘタすると、一日かかってしまう。そこで、こんな毛筆書きでスペース稼ぎをしているのである。
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それにしても、
なぜ、こんなくだらない個人日誌みたいな超ミニコミ誌を毎日出そうというのだろうか。
きょうはひとつ、自分にとっくりと問いただしてみようではないか。
一種のヒステリーか、とも思う。心中にあるものを文章として吐き出そうとするが、
日記というのは、あまりにも個人的すぎて、なんかこう、空しい・・・。
人に見せたい、見て読んでもらいたいのだが、新聞雑誌への投稿という競争には気乗りがしない。自信もあまりない。
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(茶もみ)
むかし、母も外クドの前でやっていた
新茶はとても体にいいという
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そこで、自分を読者ということにして、とりあえず書いてみることにした・・・と、いうことか。
いや、違う。じゃなんだ?
自分を駆り立てようとしている。
月に一回とか、週一回とかのペースでなく、毎日出すということのあわただしさに、あえて乗り込もうとしている。
毎日だと忘れることがない、怠けてもおれない。ゆっくり構えて、想を練ってペンを執る、などはしておれない。
それで筆(文章が)荒れるということにはならないだろう、と思えている。
なにか、こう、いままでとは別の力が付いてくるような気がしているのである。
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それにだ。私は自分の毛筆書体が、かなりに気に入っているのだ。ときどき、ほう、これはなかなか・・・と、見とれることさえあるのだ。
万事、自信がない私にして、そんな気分になるときがあるのだ。
自分だけでそう思うのじゃなく、これもときどき、人からほめられるのである。まんざら、お世辞とばかりではないようなのである。
妻は、ほめてくれない。
なくなった妻の父も生前、こんなことを言った。「徳男さんの字は、早曲りしている・・・」アハハハハ
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