桃青霊神社

宮地嶽神社・桃青霊神社・自得祠

宮地嶽神社(総本社は福岡県福津市)神功皇后が主祭神で、勝村大神・勝頼大神を配祀してい る。

左側は自得祠:自得(昔話)は耶馬溪、青の洞門を掘った禅海和尚に似た境涯の人。55世座主・伝雄僧正に救われ、新清水観音堂の再興に身を捧げる。自得自ら建立した石祠に昭和8年頃、自得を祀ったとされ。この付近には自得が寄進したものが数多く残っているらしい。


高良山自動車道で愛宕神社入り口反対(左側)を少し登った平地に宮路岳神社の右側に桃青霊神社。

松尾芭蕉:寛永21年(1644)-元禄7年10月12日(1694年11月28日没:三重県伊賀市出身)
元禄2年3月27日(1689年)に江戸を立ち東北、北陸を巡り岐阜大垣まで旅した紀行文『おくのほそ道』がある。

もともと木曽義仲や源義経に思いを寄せていた芭蕉は、義仲寺(巴御前が亡き義仲の供養をしていた所:滋賀県大津市馬場)を好み、遺言でここに埋葬された

江戸時代、松尾芭蕉の俳風は全国に広がりました。

岡良山(田主丸の俳人)は、寛政5年(1793)が芭蕉百年忌にあたることから、芭蕉の俳号「桃青」にちなんだ「桃青霊神社」建立を高良山三井寺の観阿と謀り、
寛政3年(1791)、70歳で京都に出向き、神祇官の長官・神祇伯の資延王を訪ね「桃青霊神」の神号を授かった。これに賛助したのは、蔵富東義(浮羽上古賀村)・中田秋賀・石田残道・本田魯々らだった。
神として祀ったのは日本で初めてという。

1796年、高良山のふもと、新清水観音堂そばに社を完成。その後、台風で倒壊したので、天保2年(1831)再び風の災害がないよう、堅固な岩で御社を再建した。(祠の背面に経緯が刻まれている)

もともと、水明荘の敷地内にあった祠で、昭和40年頃までは芭蕉祭が催されていたが、その後、現在地に移されたらしい。

志太野坡(芭蕉の門人で蕉門十哲の一人 寛文2年(1662)-元文5年(1740))が育てた、地元俳人たちの働きが大だったと考えられる。佐越・塩足市山・雪刀・秋虎・木而・升内等の人たちは京都の版元から俳諧撰集を刊行している。

現在も俳句会が行われていて、御井町の俳句会も歴史が長い。

久留米の俳風

元禄11年(1698)、各務支考(蕉門十哲の一人で「美濃派」を興す)久留米筑後川畦西与の家に留まる。

志太野坡(蕉風)の弟子
塩足市山(宇左衛門:竹野郡塩足家大庄屋)
若林旦夕(福島の人、久留米在)
垂井秋虎(国老有馬氏の家臣)
諸九尼(唐島村大庄屋・松永十五郎の娘・現田主丸)
湖白(直方の元侍)
木子:加藤文内:久留米藩士で江戸勤務が多い。野坡門人。享保7年没、墓は順光寺
般里:野坡門人、詳細不詳。
羊我:久留米の人。砥屋文左衛門。詳細不明。
佐越:伊藤安右衛門。久留米の人、呉服町、井筒屋庄兵衛の養子。元禄15年、野坡の門に入る。安永2年、「杉丸太」を編む。享保18年に俳諧で有馬頼徸に遇せられ「岱翁」の号を賜る。生没年不明。
土木:合原窓南、住吉(現・安武)の人で藩儒臣。元文2年75才で没。
伊勢風系(蕉風):
蕉風復帰を唱えた高桑蘭更に師事した大田文角がひろめ、文化・文政期以降、久留米俳壇の主流派
田川鳳朗-三谷凌雲(藩御用絵師)・下村文老(久留米藩士)
高桑蘭更-大田文角(通町九丁目)-三牧慶五(田町)・吉山石風(大善寺・商人)
江戸座(榎本其角:蕉風)
俳諧復興の天命期に三浦存梅を中心に流行
三村存梅(有馬内蔵助の家長)
岡良山(現田主丸の人、紙屋文右衛門)
石原指帆(石原為平)
雪門派(服部嵐雪:蕉風)
福島の松延貫嵐が、安永元年(1772)雪中庵三世大島蓼太に入門し、帰国後に流行
松延山布留-浅川凡鳥・古池花鸚

***** 以下は宝暦一揆に関連する事項 *****

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1762(宝暦12年)諸九尼と浮風が、志太野坡と芭蕉の墓碑を大阪に建立。句集「朱白集」を著す。
1763(宝暦13年)5月 芭蕉句碑「葛葉塚」(津福本町・池青寺境内・高さ110cm、幅70cm、玄武岩)
淵花堂魚也ほか6名が芭蕉70回忌を追善して建立 ・(下画像左が元・右側が新)
池青寺 葛葉塚(旧)

葛の葉のおもてみせけり今朝の霜
元禄4年(1691)、芭蕉48歳の作

訳)葉裏の白い葛の葉が、今朝の霜で白くなった表をみせていることだ。
(出展:元禄4年 きさらぎ 真蹟自画賛・陸奥鵆(ちどり)芭蕉全句集p437 817)

1793(寛政5年)桃青霊神社(翁社)(高良山 全高250cm、笠石は自然石)

桃青霊神社祠(右側)
副碑の円柱石(左側)に、芭蕉を埋葬する義仲寺(大津市)住職井上重厚の句が刻まれている。
歌は出雲八重垣、連歌は甲斐の酒折の社、俳諧は筑紫高良山に桃青霊神して永く風流のみちを守護し玉ふ

「今よりはぬさともならん枯尾花」
井上重厚の作(寛政五葵丑十月碑建立)

 江州粟津
  義仲寺重厚
  良山花遊
  東林寺花林
  雨中庵杠
天保二辛卯歳
  十一月造立之
翁社

裏面
 俳諧の太祖芭蕉翁は、あまねく世の人の知るところなり、その葉陰に遊べる好士のすさびとして、筑紫しりの国、ぬれせぬ山にたまちはふ神と祭らんことを、従二位資延伯にねぎて、桃青霊神とあらはし、玉垂 宮と光を同じくしたまふは、寛政3年辛亥の年にぞあなる。
諸人仰ぎ尊み賽の鈴の音絶えまなかりしが、思いきや去にし文政十一子の年の野分に御祠大破に及ぶ、このたび志を合せてむかしはもて御祠を営み、行末巽二の災をのがれんものと計るなり、ちはやぶる神の人をしてなさしめたまへるならんか掛巻も畏きいさをならずや。

左側面) 奉寄進

  • 御城内連
  • 京隈御連
  • 九皐東鶴
  • 拾問屋御連
  • 庄嶋御連
  • 米府
    • 苧川
    • 木屑
    • 蒿酔
    • 琴常
    • 石耳
    • 桂窓連
  • 高島  
    • 草月女
    • 和戎
    • 立梧
  • 東林寺  
    • 花林
  • クラ内   
    • 一瓢
    • 盤雨
  • 一条  
    • 貫柳
  • 高良山  
    • 林作
  • 森  
    • 徐留
  • 平  
    • 朝翠
  • 本郷  
    • 田子
  • 橘田  
    • 楽只
  • 大村  
    • 皿州
  • 若葉連
  • 小松連
  • 水道連
  • 樋口連
  • 千年連 

右側面)

寛政3年辛年
発願施主
天保二辛卯年
十一月吉日

  • 倉富東義
  • 石田残道
  • 本田魯之
  • 中田秋賀
  • 十寸穂庵良山
  • 太田文角
  • 久保花遊

再建 上杦方舟

施主

  • 冬井千鳶 
  • 桂窓慶五
  • 雨中庵 杜有

補助

  • 田中忠吉
  • 米屋庄兵衛
1797(寛政9年)芭蕉句碑「名月塚」(高さ210cm、幅180cm、自然石)
米府俳諧社が建立。
名月に麓の霧や田の曇
元禄7年(1694)、芭蕉51歳の作
(出典:続猿蓑)
1804-1817(文化年間)芭蕉句碑「桜塚」(草野町発心公園内・高さ190cm、幅110cm、自然石)
鹿毛其程と草野町・上野如泉が建立。1828年の暴風で倒壊したが天保年間に再興した。
木のもとは汁も膾もさくらかな
元禄3年(1690)、芭蕉47歳の作
(出典:ひさご(真蹟懐紙・短冊・扇面))
膾(なます):野菜・魚や貝などの生肉を細かく刻んで調味酢で和えた料理
満開の桜の下での花見では、汁椀も膾の料理にも桜の花びらが降り注いでいる。
1808(文花5年)8月 芭蕉句碑「月影塚」(善導寺町善導寺境内・高さ210cm、幅110cm、玄武岩自然石)
鹿毛其程と妻・車月が建立。
月影や四門四宗もただ一つ
元禄元年(1688)、芭蕉45歳の作(善光寺)
同じ善導寺境内に、志太野坡追悼の供養塔もあります。
1814(文化11年)2月 芭蕉句碑「月梅塚」(大善寺町宮本玉垂宮境内・高さ170cm、幅27cm、安山岩の切石)
春紫庵暁雨・夜明庵瓦屑の建立
1814年大善寺境内 月梅塚
春もやや景色ととのう月と梅
元禄6年(1693)、芭蕉50歳の作
出展:薦獅子集(木因宛書簡・真蹟画賛 芭蕉全句集p45 58)
訳)朧月の下で梅花がほころび、やっと春らしい様子に整ってきたことだ。
風化が進み、表層が剥落しています。
1843(天保14年)芭蕉句碑「椎木塚」(篠山町篠山神社境内・安山岩の石臼・径80cm)
芭蕉150回忌に朝廷から「花本大明神号」授与を記念して建立。昭和38年京隈、榊氏邸にあったものを移した。
1843年久留米城「椎木塚」
まづたのむ椎の木もあり夏木立
元禄3年(1690)、芭蕉47歳の作「幻住庵記」
出典:真蹟短冊1(短冊2・懐紙・猿蓑)
1806(文花3年)春 芭蕉句碑「甍塚」(田主丸町石垣 観音寺境内)
有無庵其成・楓波堂軽舟が建立「芭蕉翁墳記」には「曙塚」となっている。
観音のいらかみやりつ花の雲
貞享3年(1690)、芭蕉43歳の作
観音は「浅草寺の 観音」・「花の雲」は「満開の桜」のこと
鐘楼が作られた時、少し場所移動した。

そばに新碑 (元のは風化で読めない)
1907年(明治40年)芭蕉句碑「雉子塚」(久留米市山本町耳納観興寺境内・高さ140cm、幅80cm、自然石)
観興寺11世住職上野義山(俳号・孤琴)が建立
1907年観興寺の雉子塚
父母のしきりに恋いし雉子の声
元禄元年(1688)、芭蕉45歳の作  出展:笈の小文
大意:霊場高野山で、子を思う雉の声を聞くと、亡き父母のことが、いっそう深く偲ばれる。

久留米の数箇所に芭蕉の句碑が建てられています。
参考・引用:「久留米の芭蕉句碑展」より


塩足市山

田主丸大字菅原の大庄屋・宇佐衛門で別号丈日庵で早くから俳諧に志し、志太野坡の指導を受け野坡門の四高弟の一人と称された。子の塩足秀山、吉井の石井史曳が門下にいる。

焼塩の色ももどるや杜若(市山)

うぐいすや旭こごらぬ松の色(市山)

塩足家_現在は芝刈公園
旧塩足家(現・芝刈公園)・・・片の瀬橋近く


松尾芭蕉関連

1675(延宝3)年-1682(天和2)年、32-39才の間、「桃青」の号を使った後、「芭蕉」と称する。
芭蕉に関するHP芭蕉句碑総覧
「千鳥塚」貞享 4年(1687)最古の芭蕉塚で生前の芭蕉が、連中と共に建立した
(名古屋市緑区緑区鳴海町・千句塚公園)
全国にある芭蕉塚の総数2441基といわれている。