高良山の歴史

弥生式時代
前100:紅桃林遺跡(住居跡)安国寺遺跡(祭祀址)「山川町」、赤坂遺跡
82(景行12):景行天皇、高羅(高良)の行宮に国内を遊覧し、御井の大川(筑後川)に渡し船を備える
200(仲哀9):神功皇后、天皇と共に筑紫に幸し、高良山に御滞在(安在地:朝妻)昔話・背くらべ石 次いで、朝鮮半島に出兵、高良の神、神功皇后を授け給うと伝える

239 (神功皇后摂政39):邪馬台国の女王・卑弥呼が
魏に遣使して、金印を受ける

古墳時代
300 (応神31):祇園山古墳が形成されはじめる
367(仁徳55):高良の神(玉垂命)、高良山に御鎮座・この頃、礫山古墳・釜口古墳(高良内町久留米斎場)・ひょうたん山古墳できる

391 倭軍、百済新羅を攻め、高句麗と交戦する

400(履中元):高良山に社殿を創建し、玉垂宮と称する。≪鏡山系譜≫
480 (清寧元):善導寺町・木塚古墳が築造される
490-500 上津町・浦山古墳、大善寺宮本の御塚古墳(帆立貝式前方後円墳)が築造される  
510(継体4):京町・日輪寺古墳が造営される
527(継体21):筑紫国造磐井、大和朝廷側の近江毛野臣の任那救援軍を阻止 (527 磐井の乱起る。参考:杷木神社
528(継体22): 物部麁鹿火、筑紫国造磐井を筑紫御井郡に討つ。 この頃、高良山神籠石が築かれる

538 (宣化3):仏教が伝来した(552年という説も)

580頃 草野町吉木、下馬場古墳、彩色壁画

593 (推古元):聖徳太子、摂政となる
600 (推古8):筑紫・大宰府を設置する

飛鳥時代

604 (推古12):十七条憲法を制定

645(大化元):筑後国府設置。この頃、筑後川中流域に条里制が施行される

645(大化元):大化の改新

662 (天智元):草野常門、観興寺の創建

663 (天智2):白村江の戦、百済亡び救援の日本軍敗れる
664: 上津土塁を築造する
672(天武元):壬申の乱起きる

673(天武2)高良の神・仏教帰依の託宣を下す
677(天武白鳳6):隆慶上人・神宮寺高隆寺を創建 ≪隆慶伝≫
678(天武白鳳7):筑紫国大地震
690 (持統4)大伴部博麻(久留米城に碑)(百済救援の時、唐軍捕虜となり30年を経て帰国)
695(持統9):筑紫国が筑前・筑後に分かれ、筑後国府設置される
奈良時代
713(和銅6):従五位下・道君首名(夜明神社・久留米城)は初代・筑後国司となる
723 (養老7):観世音寺を造営

741 (天平13):国分寺建立の詔

746 (天平18):合川町枝光に国府が置かれた

753 (天平勝宝5):僧・鑑真が来朝

767(天平神護3・神護景雲元):勅命により大祭礼(神幸祭)が開始される

794 (延暦13):平安遷都

795 (延暦14):筑後国高良神、従五位下の位階を授けられる
平安時代
818 (弘仁9):高良神社玉垂命の神号を受ける
901 (延喜元):菅原道真を太宰府に左遷
901 (延喜元):菅原道真、高良山に参詣する(袴着天神)
949 (天暦3):高良山座主制始まる。高良山12世・叡竿、初代座主となる(49世座主からは比叡山が任命する)
1085 (応徳2):高良宮が焼亡する
1186 (文治2):草野永平、筑後国在国司となる(1189年 若宮神社を勧請)
鎌倉時代

1192 (建久3):源頼朝、鎌倉幕府を開く

1208 (承元2):草野永平、善導寺を建立

1232 (貞永元):貞永式目が制定される

1267 (文永4):蒙古襲来に当たって勅使参向、座主に綸旨を賜う
1268 (文永5):高良山座主良覚、蒙古調伏の読経をする
1274 (文永11):蒙古軍筑前に上陸(文永の役)
1274 (文永11):神代良忠、筑後川に浮橋を架し肥薩隅の軍を渡して北条時宗の感状を受ける。(神代橋)
1281 (弘安4):蒙古・高麗軍再び襲来(弘安の役)
室町時代
1334? (建武4):毘沙門岳城築城

1334 (建武元):建武の中興。この頃、倭寇が横行する

1335 (建武2):菊池武敏、高良山に陣し、進んで太宰府に少弐貞経を攻める
1336 (延元元・建武3) 3月2日 多々良浜の戦いで、菊池は尊氏の軍に破れる
1342 (興国3・暦応5):征西将軍宮懐良親王、薩摩に到着
1346 (正平1):一色範氏(九州探題)、菊池討伐のため高良山に陣する
1348 (正平3):征西将軍宮懐良親王、高良山に普門品を献納
1363 (正平18):谷山城落城・懐良親王、高良山在陣、草野永幸宮方となり、肥前・千栗・船隈の探題一色軍と合戦。
筑前針摺原に進発宮方軍、高良山・柳坂・耳納に陣し、
筑後川を渡り、大友・少弐(幕府方)の軍と大原で合戦。
菊池武光、懐良親王を高良山に奉じ、大友・少弐の幕府軍と決戦(筑後川の戦い)
1372 (文中元):宮方軍、太宰府を失い、親王・菊池武光、高良山に征西府を移す
1375 (応安8):高良山座主墓中,最古の墓石建つ
1377 (天授3):懐良親王、高良下宮社に願文を納め、九州平定と南朝の衰運恢復を祈る
1404 (応永11):岩井の地蔵建立・横馬場の地蔵建立
1504 (後柏原104)永正年中 士豪某、初めて笹原城(篠山城)を築く
その後、大永の頃、大友氏の武将豊鐃、鎮運は笹原城に拠る
1536 (天文5):大友義鑑、鯵坂荘75町を高良山座主坊に安堵する
1539 (天文8):御井寺、高良山中にある三尊板碑を祀る
1540 (天文9):日向守宮部武成(賢順の父)は、大内氏を援けに長門まで行き戦没(賢順7才の時)
・・・・・「厳島の合戦」で戦死とも
1542 (天文11):八尋式部吉見岳城を築く(大友氏が築いた説も)
1549 (天文18):宣教師フランシスコ・ザビエルが鹿児島で布教開始
戦国時代

(*)九州は島津(薩摩)、大友(豊前・筑前・肥後)、龍造寺(肥前)・・毛利(中国)の勢力圏下にあった。

1559 (永禄2):大友義鎮、高良山を本陣として筑後を平定
1564(永禄7)春:大友義鎮、筑後に入り、高良山を本陣として筑後を平定する
同年8月、筑後の諸侯、高良山で義鎮に謁する
1565 (永禄8)秋:原田親種、高良山に籠城、大友義鎮これを攻める
1569 (永禄13)1月:大友義鎮軍が龍造寺隆信を討つため豊後を発つ→玖珠→日田→2月16日に吉見岳城に本陣を置く。動員された軍勢は6万とされ、佐賀城を囲んだ。
1570(元亀元)春、義鎮、再び高良山に陣す。3万の軍勢で佐賀城を包囲した。イエズス会士のアルメイダ、高良山に至る
龍造寺勢を率いる鍋島信昌(直茂)が、今山(佐賀市大和町)の大友方本陣を襲撃して敗走させた。
安土桃山時代
1573 (天正元):この頃、高良山座主良寛、弟の麟圭を笹原(久留米)城主とする

1573 (天正元年7月29日):足利幕府が滅亡
1574 (天正2):一向一揆(越前・長島)
1575 (天正3):長篠の戦いで織田・徳川軍が武田勝頼の軍を破る
1577 (天正5):織田信長が右大臣に就任する

1578 (天正6):龍造寺隆信、筑後に入り、久留米城・高良山を攻め良寛を降ろす。
龍造寺方の鱗圭、座主となり良寛(大友方)と兄弟の争いとなる

1578 (天正6):11月12日 - 耳川の戦い、島津義久、義弘、家久兄弟らが大友軍に大勝
1579 (天正7):安土城天主閣が完成

1580(天正8)9月、隆信、筑後に入り、久留米城を陥れ、進んで高良山を攻め良寛を降す。
1581 (天正9):龍造寺隆信が隈府城を攻略
大友義鎮が彦山を焼き討ち

1582 (天正10):天正遣欧少年使節の4人が長崎を出発
6月21日(天正10):本能寺の変・山崎の戦いで光秀が敗れる

1584 (天正12):島原・沖田畷の戦、島津勢が龍造寺隆信を討つ

1585 (天正13):豊臣秀吉、関白となる
1585 (天正13)9月13日:立花道雪、北野の陣中で没(73歳)

1586 (天正14):島津勢、高良山を攻略、仏閣、社家、民屋、悉く焼亡する。
   4月 - 大友宗麟、大阪へ行き、秀吉に救援を求める
7月27日 - 島津軍が大友氏の岩屋城を攻略、高橋紹運が自害
1587 (天正15):秀吉、島津討伐の途中、吉見岳城に在陣、神領を没収。のち千石を神領として寄進。
座主良寛(麟圭の兄)に替えて麟圭を座主とした。
肥筑諸侯の伺侯を受ける。草野家清、参見せず(後、秀吉に南関に呼び出されて殺される)
同年、筑後に五大名を配置する 小早川隆景:筑前名島城/毛利秀包:久留米城
/立花宗茂:柳川城/高橋統増:山門郡江浦城/筑紫広門:上妻郡山下城
5月8日 - 島津義久、川内の大平寺で秀吉に降伏する。

1590 (天正18):豊臣秀吉の小田原征伐

1591 (天正19):久留米城主・毛利(小早川)秀包、座主麟主を誘殺(八つ墓):(昔話)して神領を奪う
座主のいない高良山は荒廃する

1591(天正19年2月28日):千利休が自害

1596 (慶長元):秀包、麟圭の子・秀虎丸を46代座主・尊能とし神領を返納する

1600 (慶長5):関ヶ原の戦い

1601 (慶長6):田中吉政、三河国岡崎より筑後国主に転じ、柳川に居城
1604 (慶長9):筑後に一里塚。坊津街道に本郷(松崎)・府中・羽犬塚の三宿が設けられる
江戸時代
1620 (元和6):有馬豊氏、丹波福知山より久留米入城・中浦ジュリアン筑後に入る
1621 (元和7):48世座主家が断絶

1635 (寛永12):参勤交代制度定められる
1637 (寛永14):島原の乱

1638 (寛永15):筑間川を筑後川と改称
1650 (慶安3):この頃、山川村の花火「動乱蜂」始まる
1652 (承応元):高良山に大猷院(徳川家光)廟を建てる。御井町広手参道に石造大鳥居を竣功
1654 (承応3):第2代藩主・有馬忠頼石造大鳥居を寄進する
1660 (万治3):愛宕神社(祠)が49世座主・秀賀法印により隈山に勧請された。
1660 (万治3):第3代藩主・有馬頼利、高良玉垂宮本殿を造営寄進。翌年、五重塔 建つ

1664 (寛文4):切支丹禁制

1669 (寛文9):50世座主・寂源、有馬頼元に請うて大祭礼を復活する
1670 (寛文10):下宮社、祇園社。高牟礼明神朝妻七社等、再興される
1670(寛文10):50世座主・寂源僧正は隈山にあった愛宕神社(祠)を現在地・礫山に遷座した。

1671(寛文10):松崎城完成、(有馬豊範)松崎1万石
1678(延宝6):参勤交代の道、横隈宿経由→松崎宿経由に変更

1680 (延宝8):2月17日 四阿屋宮(現鳥栖市)の鳥居(華表)を建立、神額は50世座主・寂源権僧正の筆
1680 (延宝8):4月11日 田代町祇園舎(現鳥栖市)の鳥居(華表)を建立、神額は50世座主・寂源権僧正の筆
1754 (宝暦4):3月 宝暦一揆(農民10万が蜂起)。美濃では群上一揆
1771 (寛延元):竹野郡上村庄屋が伐木の過料として高良山の並木 杉千本を植樹(千本杉の由来)
1771 (明和8):座主・寂信、京都伏見から大学稲荷を勧請する
1772 (安永元):放生池、御手洗橋(木造)出来る
1774 (安永3):琴平神社鎮祭 第7代藩主・有馬頼徸、中門、透塀を造営寄進する
1789 (寛政元):座主・伝雄「高良玉垂宮略縁起」を著す
1792 (寛政4):「千四百年御神忌」行われる。仁王経一千部を真読。
12月 三潴大地震、津波。上妻より2~3千人が高良山に登る
1793 (寛政5):桃青霊社を建立
6月27日 高山彦九郎 割腹(この年、林子平は獄死)
1797 (寛政9):厨寂春、平家物語(重文指定)十二冊を奉納
1803 (享和3):御手洗橋が石造りになる
1806 (文化3):味清水御井神社の再建
1812 (文化9):2月6日、伊能忠敬、測量のために来て、府中宿(万屋佐七、小松屋、福島屋常八、清蔵宅)に宿泊。
10月7日、善導寺町に、10月8日、久留米城下に宿泊 (第8次測量の時:『伊能忠敬測量日記』による)
1818 (文政元):11月、頼山陽が来る
1823 (文政6):吉見岳・琴平神社建立。永世和平の碑建立
1833 (天保3):天保の大飢饉
1839 (天保10):高良山本坂・石段130段完成
1842 (天保13):権藤延陵、華岡青洲に医を学ぶ
1845 (弘化2):高良山玉替(金銀)の神事始まる

1853 (嘉永6):ペリー来航
1854 (嘉永7):ペリー再来航・日米和親条約を締結

1855 (安政2):下宮社改築

1858-1859 年(安政5-6):安政の大獄
1860 (万延元):3月 桜田門外の変(井伊大老の暗殺)

1862 (文久2):4月16日 島津久光が入京。彼を擁しての倒幕を期待して尊王攘夷派が集まった。
4月23日 寺田屋騒動は公武合体派の久光が弾圧、捕らわれた真木和泉守等は、7月、久留米藩へ送られて囚人となる

1863(文久3):4月21日、久留米から脱藩して来た小川佐吉・深野孫兵衛の真木和泉守らの救援要請に応じた長州藩は、朝命を得て、真木らを救出するための使者2人を久留米に送る
2月4日 和泉守らは禁を解かれた
5月10日 長州藩、馬関海峡で通行中の米仏商船に発砲(攘夷実行)
5月10日 中山忠光が久留米城へ赴き、開放の交渉。
5月17日 真木和泉以下、28名が久留米城から釈放された。
8月17日 天誅組の挙兵
8月18日政変で真木和泉は池尻葛覃らと七卿を警護して長州へ

1864(元治元):長州藩の来島又兵衛、久坂玄瑞らと禁門の変で敗れた真木和泉は、7月21日、天王山で自刃 (51歳)

1864 (元治元):田中久重、鑓水で大砲の鋳造に着手
1867 (慶応3):柘植善吾、3年の期限で渡米
明治時代
1868 (慶4-明元):4月-12月の間に出た一連の通達「神仏判然令(神仏分離令)」有志策動の風聞で、高良山及び城下を固める
1868 (明治元):8月12日 藩主・頼咸、高良山に入る
1868 (明治元):戊辰戦争。五箇条の御誓文
1869 (明治2):旗崎招魂所(山川招魂社)建つ
全山に廃仏毀釈行われ座主廃止される
1869 (明治2):7月18日 知藩事有馬頼咸、居を座主跡に定める(高良山御殿)
山中の子院は藩兵屯所となる
1870(明治3):3月頃、山口藩騎兵隊解散反対・農民一揆で騒乱(1月)、指導者・大楽源太郎らは熊本藩から久留米に潜入した。
1871 (明治4):2月13日 宮川宅にて大楽源太郎と小川真文、寺崎三矢吉、立石正介、挙兵の密議
3月16日 大楽源太郎を殺害
3月23日 巡察視(参謀:井田譲・兵400)高良山本殿を本拠として大楽事件を調査
事件関係者は政府の藩に対する措置を穏便にするため、進んで捕らわれた。
4月、関係者は送られた日田で、巡察使が審理し、多くはさらに東京に送られた。
久留米藩事件は、同時期の反政府陰謀事件(二卿事件)と共に一括処理され、12月3日に処刑された。
(処刑者は2府39県、260名に及ぶ)
12月4日、藩知事・有馬賴咸は閉門30日となる
1871 (明治4):下宮鳥居建立・高良玉垂宮を高良神社と改称、国幣中社に列せられる
1871 (明治4):廃藩置県
1874 (明治7):2月佐賀の役
佐賀県令の岩村高俊、府中まで逃げて来る
1874 (明治7):久留米城廃城
1876 (明治9):御井町制をしく。清水小学校を御井小学校と改称
1877 (明治10):厨亮俊、西南の役で阿蘇にて死亡
1877 (明治10):3月 乃木希典少佐、右足負傷、久留米病院に入院
1878 (明治11):高良山下に御井寺(座主院の後身)再興される
御井郡役所設置
1880 (明治13):日比翁助、慶応入学(父が藩主に従い、府中に移住し、翁助は清水小学校に在学していた)
1890 (明治23):一千五百年遠期大祭行われる。教育勅語発布
1894 (明治27):日清戦争起きる
1897 (明治30):3月 夏目漱石、高良山に登る
4月歩兵第48連隊が福岡から国分へ
5月久留米衛戍病院創設

1897 アテネで第1回近代オリンピック

1899 (明治32):10月1日 森鴎外、御井町に森医院を訪れ(高山彦九郎の調査)高良山に登る

1904 (明治37):日露戦争起きる

1905 (明治38):久留米電燈会社創立
馬車鉄道(日田まで延長・後に筑後軌道と改称)
1908 (明治40):10月、工兵第18大隊設置
1910 (明治43):11月、陸軍特別大演習
大正時代
1914 (大正3):高良山参道に町標寄進(末次四郎)
1914 (大正3):10月9日ドイツ俘虜、久留米到着(11月 青島陥落)
1915 (大正4):6月9日 国分に俘虜収容所をまとめる
1915 (大正4):11月 高良神社、国幣大社となる

1923 (大正12):関東大震災

昭和

1931 (昭和6):満州事変起きる

1932 (昭和7):高良神社参道自動車道路着工

1937 (昭和12):日中戦争起きる

1941 (昭和16):一千五百五十年御神期大祭行われ、日吉神社、篠山神社に御神幸
1941 (昭和16):大東亜戦争起きる
1943 (昭和18):三井郡御井町、久留米市に合併
1945 (昭和20):8月11日 久留米大空襲
1947 (昭和22):社格廃止により、高良神社を高良大社と改称
1951 (昭和26):神幸祭、神輿、旭屋デパートに至る
1961 (昭和36):高良山自動車道路(高良大社まで整備)

1964 (昭和39):東京オリンピック大会開催

1965 (昭和40):高良会館落成
1969 (昭和44):祇園山古墳発掘調査始まる。耳納スカイライン全面開通
1972 (昭和47):高良大社本殿、国重要文化財指定となる
1973 (昭和48):社殿の解体修理始まる
1977 (昭和52):御井風流復活される
平成
(平成3):一千六百年御神期大祭 神輿大修理を行う
(平成4):一千六百年御神期大祭 神幸祭復活
(平成16):高良大社中門透塀保存修復
(平成24):神幸祭斎行(以後5年に1度斎行予定)

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