歴代座主の墓

蓮台院より手前(下)の自動車道、左手

妙音寺跡の木柱歴代座主墓地の案内木柱

現地解説板

歴代座主の墓

この地は、隆慶国師(初めて高良山・高隆寺で仏教をひろめた)の菩提を弔うために建てられた妙音寺の跡といわれ、59代、1200余年に亘る高良山座主歴代の墓地になっています。墓地は3区画に分れ、上段の丘頂に、寂源が再建した初代隆慶国師の霊塔があり、中段には50世寂源より58世亮純まで日光門主任命の座主の墓や供養塔が並んでいます。下段には墓石が散乱していますが、ここが座主家(丹波氏)の墓地と考えられます。元来座主とは、一山の寺務を総理する僧職で、高良山座主を称したのは12世叡竿の時(平安時代の中頃)といわれます。

高良山の自然と史跡を守る会

注)説明板の字は塗料が落ち、かろうじて読み取れた状態。


隆慶国師の慰霊塔後部・墓の位置は調査中慰霊塔前部の銘

最上段(丘頂)にある隆慶国師の霊塔。墓塔は寂源の再建。
隆慶上人は武内宿禰の末裔で高良山仏教の開祖と伝えられる。養老5年(721)寂。

碑文はまだハッキリしています。

右、後方に立っていた隆慶国師の頌徳碑、倒れたままの状態。

碑文意訳

高良山に初めて仏教を導入し、寺院を建立した隆慶上人は孝元天皇の後裔で、
かつ武内宿禰の末葉であるといわれる。

大化5年(649)に生誕し、若くして仏門に入り、奈良の大安寺の道寧和尚から戒律を受けて僧となり、さらに法隆寺の知蔵僧正のもとで仏法を習得した。上人は仏典や教義の理論を深く研究し、過去・現在・未来の三世に関して会得し、経文の明確な理解においては他にぬきん出ていた。

元明天皇は上人を鎮西(九州)の講師に任命されたが、高良山に帰った上人は、ここに寺院(高隆寺)を建てて仏像を安置し、正しい仏法を興隆して人間界・天上界を救済した。

養老5年(721)8月18日、上人は静かに亡くなった。

寂源・・比叡山から来た高良山中興の座主 中段部はほとんど破壊された跡なし

中段:左画像印が座主寂源の墓・五十八世亮純まで日光門主任命の座主墓が並ぶ。

妙音寺跡(座主家墓地)

梵字が見えるだけ雑草に埋もれて

右手の墓石は「当山47世阿闍梨玄俊」と読み取れます。正保4年(1647)没
他に良胤(42世)、鎮興(43世)の墓もあるとされているが、確認できず。

座主家(丹波氏)の墓地・・・中段までの塔に比べて、気の毒な ほどの荒れ方 

八つ墓以外で麟圭の墓があるかどうか確認できていません。

高良山茶屋「望郷亭」
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