高隆寺跡(御井) 

高隆寺跡
「高隆寺本坊が蓮台院御井寺と号す」というのを読んでいたので、蓮台院=旧座主邸のあった所と考えていましたが、
実際には少し離れた所、望郷亭横を吉見岳に向う下り坂、
弥勒寺跡を過ぎてすぐの所にありました。
当時の状況が不明ですが、庵があったのかしらんという程度の広さしかありません。
しかし、教えられて周囲を見ると、一段低い所にある平地はけっこう広く、そこに建物があったことを感じさせます。

高良山なもともと神さんの社ぢゃったが、千三百年ばっかり前、阿曇多知尼の乙女に仏さんの乗りうつらっしゃって「仏法を信じて仏教ば伝めろ。この仏教の功徳は無限である。お寺を建てち、仏像を祀れ。寺ば建てる場所はこ処んにきにある」ち隆慶に知らせらっしゃった。又、隆慶も夢のお告げで、家来の者どんと力ば合わせち、藪ば切払い、林ば開いて、岩ば除け、平地ば造り、そこにお寺ば建てらっしゃったが、そん時、隆慶の家の東北に珍しか光が見えたけ、尋ねて行くと光よる霊木が一本あった。
そっで仏像ば造ったが、開墾しよっとき一寸八分の黄金の仏像も拾うた。そげなこつ、こげなこつで高良山にも初めちお寺ん出来た。そん寺ば高隆寺ち言う。


訳)

高良山はもともと神様の社だったけれど、
1300年ばかり前(白鳳6年=677年)、阿曇多知尼の乙女に仏さんが乗り移られて、「仏法を信じて仏教をひろめよ。この仏教の功徳は無限である。お寺を建てて、仏像を祀れ。寺を建てる場所はこの辺にある」と隆慶に知らせられた。
また、隆慶も夢のお告げがあって、家来の者達と力を合わせて、藪を切り開き、林を開いて、岩を除き、平地をこしらえて、そこにお寺を建てられたが、その時、隆慶の家の東北の方向に珍しい光が見えたので、それを尋ねて行ってみると、
光る霊木が一本あった。 それで仏像を造ったが、開墾している時には一寸八分の黄金の仏像も拾った。そんなこと、こんなことで高良山にも初めてのお寺ができた。その寺を高隆寺という。

高良山物語36


高隆寺は高良山玉垂宮を支配し、九州では英彦山、阿蘇山と並ぶ天台の大寺だったという。高隆寺本坊が蓮台院御井寺と号す。
「高隆寺縁起」によると、天武天皇2年2月14日に1間4面の精舎1宇、5間1面の相貌宇、34面の雑舎1宇を造り、弥勒像、毘沙門天像各1体を母屋に安置して太神宮寺が建てられたとあり、「筑後志」などにも引用されているが、天武天皇2年をそのまま信じがたい。
最初の神宮寺である高隆寺の位置は不明確だが、高隆寺が隆慶以後、500年間位は隆盛し、最盛期は6ヵ所360坊があったといわれる。(久留米市史1巻526ページ)
創建は、天平勝宝年間以後に求められる(波多野晥三による指摘)・奈良時代後期の瓦が出たらしい。)


隆慶上人

隆慶上人碑(意訳)
(妙音寺・座主墓群の内、隆慶上人霊塔の右傍の頌徳碑:残念なことに台風で倒れたまま。)

高良山に初めて仏教を導入し、寺院を建立した隆慶上人は孝元天皇の後裔で、かつ武内宿禰の末葉であるといわれる。
大化5年(649)に生誕し、若くして仏門に入り、奈良の大安寺の道寧和尚から戒律を受けて僧となり、さらに法隆寺の知蔵僧正のもとで仏法を習得した。上人は仏典や教義の理論を深く研究し、過去・現在・未来の三世に関して会得し、経文の明確な理解においては他にぬきん出ていた。
元明天皇は上人を鎮西(九州)の講師に任命されたが、高良山に帰った上人は、ここに寺院を建てて仏像を安置し、正しい仏法を興隆して人間界・天上界を救済した。
養老5年(721)8月18日、上人は静かに亡くなった。

(説明)高良山の伝承によれば、白鳳2年(673)、神主物部道麿の子、美濃理麿に玉垂神の神託があり、三男の武見麿保依を剃髪して仏門に入らせたのが、この隆慶上人である。彼の長兄は大祝鏡山家の、次弟は大宮司宗崎家の祖となった。系譜は丹波氏を名乗り、紀氏 を姓としている。 「高良座主歴代記」によれば、隆慶は白鳳6年(677)に山中に高隆寺を創立、7尺の釈迦像を本尊とし、毘沙門天と玉垂神の尊像を脇に安置したと伝えられる。

隆慶はその後、奥の院に毘沙門堂、北谷に正覚寺を建立、弥陀三尊を安ず。其の後上洛、帰山の後、観音寺(北麓御堂島)、三昧堂、薬師堂、寶塔院、千手堂等を建立する。(御井町誌)

隆慶の子孫は妻帯僧として代々高隆寺で法統を嗣いだが、のちに延暦寺の勢力下に属し、12代の時、はじめて「座主」を名乗った。慶安元年(1648)、48世玄逸は藩主有馬氏(※)の忌諱にふれて出奔し、ついに血脈が断絶した。
その後は比叡山から座主が派遣されることになったが、この碑の撰文者、寂源はその2代目である。碑は隆慶上人の墓の傍に建立されており、文は「隆慶上人伝」中のものと同一である。
この碑は久留米市内にある最古の頌徳碑に挙げられるものである。

「昭和57年1月 高良山の自然と史跡を守る会」の記事より引用。

(※):年号で照合すると2代目藩主、忠頼【慶長8年(1603)-承応4年(1655)】にあたる

(※)隆慶上人に関連して、高良山の昔話「北院の薬師さん」があります。

高良山茶屋「望郷亭」
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