船釘の神剣(御井町)

むかし豊後に紀ノ新太夫行平ち言う有名な刀鍛冶がおったげな。

ある日んこつ、とても品の良か、りっぱな、小姓が一人訪ねち来て
「私は遠い筑後一ノ宮高良玉垂の神の使いの者だ。今日はるばる参ったのは他でもない、一振の利剣を神が欲しておられるので是非鍛えてもらいたいからやって来た。筑後にも有名な刀鍛冶はおるが、我が神玉垂の命は、もとをたどれば紀姓の出である、あなたも又その紀姓を名乗っている。それ故神は同姓のあなたに望まれたのだ」ちおごそかに言うたげな。
頭下げたまゝ行平は「おぼしめしはありがたいかぎりです、が残念なことに、今私の手元には御剣を造る程良い黒鉄(クロガネ)を持ち合わせておりません、誠にお望に添えないことがくやまれます」ち申し上げたげな。
そりば聞いて小姓は残念がりながら又来るであろうち言うて帰って行ったち。

そりから何日かたった朝方、言うたごつ又小姓が尋ねち来たげなが、こんだは、ばさろ古うなっとる船釘ば一ペ差し出して、「良い黒鉄が無かなら、この鉄を使うて刀を鍛ったが良かろう」ち一言言うたげな。
行平ぁ神様のお望ならばち、三、七、二十一日体ば清めち、一心不乱、そん船釘ば材料にして刀ば造ったげな。そうして見事な一振の刀ば鍛え上げち、その小姓に渡したち。
こん剣は高良さんの御神宝の一つになって今でんあるげなたい。

筑後志104


訳)

昔、豊後に紀ノ新太夫行平という有名な刀鍛冶がいたそうだ。
ある日、とても上品で立派な小姓が一人来て、「遠い筑後一の宮、高良玉垂神の使いの者で、神様が良い剣を欲しがっておられるので、作って貰いたいと頼みに来ました。筑後にも有名な刀鍛冶はいるけれども、玉垂の神は、もと紀姓の出身だから 同姓のあなたにとお望みなのだ」と厳かに言った。

行平は頭を下げたまま「有り難いことですが、残念ながら、今、私の手元にその剣を造るための良質の黒鉄がなく、お望みに添えなくて残念です。」と申し上げた。

それを聞いた小姓は、残念がって「又、来る」と言って帰った。

数日後の朝、言葉通りに小姓が訪問した時、とても古びた船釘を大量に持参し「この鉄を使って刀を鍛えたら良いだろう」と言った。

行平は、神様のお望みならばと、21日間、体を清め、その船釘を材料にして一心不乱に刀を鍛え上げ、見事な一振りの刀を造って、小姓に渡したそうだ。

この剣は、高良さんの御神宝の一つとなって、今もあるとのことだ。

高良山茶屋「望郷亭」
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