お杖さん(御井)

今から300年ばっかり前んこつ、高良山の下に鹿児島教内ち言う信心深か人が居った。
どうしたことか流行風邪で寝ついてしもうて、なかなか直らん。
こりゃ我が信心の薄かつばいちいよいよ高良大菩薩ば念じ、家ん者(モン)も一所懸命信仰するごつなった。

ある晩、夢で「おまや、よう信心するけ、此処に来国次の名剣ばやるぞ、疑わんなこりでどげな悪魔でん打払うが良かろう」ち大菩薩が言うて消えらっしゃった。
明けん朝、目のさむっと枕元に杖ん如たるとん立てかけちゃる。
教内や喜うで、こりが昨夕(ヨンベン)お告げん剣か、ああありがたやち拝うで、手に取るや打払うた。
そりからち言うもんな、こじれこじれしとった病気もどんどん良か方に向いて間ものう元気になった。

こん話ば聞いた代理座主の廚さんが座主に報告。
座主は大菩薩の賜った物ば、町人の家に置いとくとは恐れ多かこつ」ち、御井寺に寄進させらっしゃった。
ところが、大風ん吹いたり大雨ん降ったり、又病気の流行ったりでロクなこつぁなか。
「こりゃ、お杖ば元んとこに置いとけ」ちいうお示しじゃろち座主は黒塗の箱にお杖ば修めち、教内の家にもどさっしゃった。

教内さんの家ぢゃ御太刀庫ち言うて祠ば造って祀り、病人がお杖ば借り来っと気持よう借してやりござった。
このこつば聞かれた第50世座主の寂源僧正がありがたか杖の由来ば書き留めちゃんなさったげな。
今残っとる書付玉垂宮御杖の記は、そん書付が破れてしまうけ第57世座主亮恩僧正が書写してやっちゃっとち言う話。

いーっ時前まぢゃこんお杖さんば宮の陣辺から、サナボリすぎにゃ借り来て、
病気にかからんごつお籠りしたり杖ん下ばくぐったりししょったが、もう止うでしもて忘れられとるごたる。

ふるさと御井2 50


訳)

300年ほど前、高良山の下に鹿児島教内という信心深い人が、なぜか流行していた風邪で寝ついてしまい、なかなか治りません。
教内さんは、自分の信心が足りないのだと、それまでよりもいっそう高良大菩薩を念じて、家族も一生懸命に信仰するようになりました。

ある夜、大菩薩が夢に出て来て
「おまえは良く信心するから、来国次の名剣をやる。疑わずに、これでどんな悪魔でも打払いなさい」と言って消えられた。
翌朝、目が覚めると、枕元に杖のような物が立てかけてある。
教内は喜んで「これが昨夜のお告げのあった剣だ。ああ有り難い」と拝み、その刀を手に取ると打ち振るった。
それからは、こじれていた病気もどんどん回復して、まもなく元気になりました。

この話を聞いた代理座主の廚さんが座主に報告すると、
座主は、大菩薩に賜った物を町人の家に置いておくのは恐れ多い」と御井寺に寄進させましたが、大風や大雨、病気が流行したりと良いことがありませんでした。
「これは、御杖を元のところに置けといわれている」と、座主は黒塗りの箱に杖を収めて、教内の家に戻されますと、教内さんの家では「御太刀庫」といって祠を造って祀り、病人がこの御杖を借りに来ると気持ちよく貸していました。

この話を聞かれた第50代座主の寂源僧正は、この有り難い杖の由来を書き留められたそうです。
今も残っている書付「玉垂宮御杖の記」は、その書付が破れてしまうからと第57世座主亮恩僧正が書き写されたという話です。

しばらく前までは、宮の陣あたりからも、サナボリ過ぎには、この御杖を借りに来て、病気にかからぬようにお籠もりしたり、御杖の下をくぐったりしていましたが、
今ではもう、それもなくなってしまい、忘れられたようです。

*)サナボリ:村全体の田植えが終わると、農家は日を決めて一斉休業します。
神社の神様にお供えをしたり、御馳走を食べたり、芝居などを楽しんだりします。重労働の田植えを終えたことを慰労する行事です。

高良山茶屋「望郷亭」
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