愛宕神社

愛宕山の山鳴り(御井)
昔ちいうて文化十年ぢゃけ百七十年前んこつ。朝妻で久し振り明日(アシテ)から七日間芝屋んあるち言うこつでどこん部落でん町屋でん楽しみして弁当ん用意ん忙しかった。春も三月桜は散ったが、もう麦野(ムギ)に雲雀の上り鳴きしとる時ぢゃけ、そりゃ浮き浮きで、矢取部落もそうよ、見げ行くとこになっとた。
ところが部落の胆焼さん達三人が三人ともそん晩愛宕さんのゴォーゴォ山鳴りしよる夢見たもんぢゃけ、こりゃ何かあるち考え、折角弁当ん用意も出けとったつば、「矢取ん者今日芝居見にゃ行ちゃでけん」ち早や触ればまわした。ぶつぶつ若者(ワケモン)だん言うたばって、村世話人の言うこつぢゃ聞かんわけにゃいかんけ、矢取からは一人でん見に行かんぢゃった。忠臣蔵かなんかん演しもんぢゃったろ、大入満員で札止の大盛況んところに、楽屋から火の出て、見物人が我先き立上がって狭か木戸口さん逃ぐっとば包こむごつ、あっち言う間に火の回って、蓆(ムシロ)仕立ん芝居小屋ぁもう火の海になり、囲の竹矢来で逃げ道ぁなし折り重なって、阿鼻叫喚(アビキョウカン)とうとう何十人ち死人の出て、そりゃ傷人(ケガニン)は何百人ち言うこっで、えらいこつなった。明けん朝矢取ぢゃ部落総寄りばして「矢取ぁ一人のけが人もださんぢゃったが、こりゃ愛宕さんのおかげ、今日はみんなで愛宕さんにお礼参り行こう」ち、大人は勿論、赤子まぢ抱いてお礼参りに行ておこもりした。そりからこん火事のあった三月十日ば「愛宕さん籠り」の日にきめち毎年部落中がお籠もりするごつなったち言う話。

筑後2 7 15

愛宕神社

高良山

愛宕山神社御由緒

  • 御鎮座 久留米市御井町字礫山
  • 御祭神 火迦具土神(伊弉諾=イザナギ・伊弉冉=イザナミの神子で火を司る神)
  • 御神徳 防火の神、牛馬の守護神、交通安全、商売繁盛の神、旧藩時代には藩主有馬家で毎月1日代参があり、地元御井町を始め、市内通町・筑後地域には霊験談も伝わっています。

愛宕神社は、高良大社の数多い末社の一つで

  • 万治3年(1660)49世座主秀賀法印が隈山に勧請し
  • 寛文10年 (1670)50世座主寂源僧正は、現在地にこれを遷座しました。
  • 延宝8年(1680)の御社殿を再興。本社御社殿(重要文化財)に次ぐ規模と風格を持つ建造物です。

この山に古くから鎮座し「愛宕山稲荷」と呼ばれた稲荷社は、
明治8年(1875)宗崎稲荷社に遷座されましたが、
これが現在の「大学稲荷」だと伝えられています。

訳)
昔と言っても文化10年(1813年)のこと。久し振りに、朝妻で明日から7日間、芝居があるということで、どこの部落も、町屋も楽しみにして弁当の用意で忙しかった。
春も三月で、桜は散ったけれども、もう麦畑の上で雲雀が鳴いている時だから、そりゃあ浮き浮きして、矢取の部落ももちろん見に行くことにしていた。
ところが、その夜、部落の世話役三人が三人とも愛宕山がゴォーゴォ山鳴りしている夢を見たから、これは何かあると考え、折角、弁当の用意も出来ていたけれども、村の世話人の言うことだから聞かないわけにはいかず、矢取からは一人も見に行かなかった。
出し物は忠臣蔵などだったろう、大入り満員で札止めの大盛況だった時、
楽屋から火が出、見物人が我先に立上がって狭い木戸口に逃げるところを包み込むように、あっという間に火が回って、ムシロ仕立ての芝居小屋は火の海になってしまい、竹矢来の囲いのために逃げ道がなく、折り重なって、阿鼻叫喚(悲惨な状況の中で泣き喚く)。とうとう何十人もの死者、怪我人は何百人という、大変な事になった。
次の日の朝、矢取では部落全員が集まり「矢取で一人の怪我人もなかったのは愛宕さんのおかげだから、今日はみんなで愛宕さんにお礼参りに行こう」と、大人はもちろん、赤子も抱いて、お礼参りに行ってお籠もりした。
それから、火事のあった3月10日を「愛宕さん籠り」の日にして、毎年部落中がお籠もりするようになったという話。

社殿の前、階段を下りると岩不動があります。

高良山茶屋「望郷亭」
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