万福長者(御井町高良山)

 

昔々、肥前の神崎に、そりゃぁ高良山ば信心する百姓が居った。その日暮らしの水飲み百姓で、やっとらこっとら暮らしていきよったが、そん中からチビッとずつばって、おさんせんに貯めちゃ毎年6月1日の兵児かき祭りに持って参りよった。
ある年の6月1日、いつもんごつお賽銭もって筑後川んとこまで来たらわるさ坊どんが5,6人よって打ち殺せ、皮ばむけち、何か囲うでそうどしよる。よって見てみっと、小まかクチナワばつかまえて竹で突っこくちよる、赤かクチナワはもうぐったりなって死のごたる。
百姓はムゾなって、「そげなこつしちゃでけん、クチナワでんそりゃ珍しか赤クチナワでまーだ子供ぢゃねーか。さー銭ばやるけ、俺売ってくれ」ち、そん赤かクチナワば買うち、「今からこげな子供どんに見つからんごつ草ンかげにおらにゃんぞ」ち言うて逃がしてやった。
お賽銭の無うなったばって、ことわり言うちお参りしとこち、渡しば渡って、高良山についた。

お宮さんの前に行ってみたら不思議なこつ、自分が名前でお賽銭の奉納しちゃる。間違いぢゃろち思い思い拍手打って、「私しゃ今年はお賽銭ばあげとりまっせんとに上っとるごつなっとりますが、何かん間違いでっしょ」ち念じたら本殿から神さんが出てこられち、「いやさぁきおまいが高良神にかわって浜であの子供どんから蛇ば買うたっじゃから、ちゃーんと奉納したこつなっとる、不思議がるこつぁなか。今からも高良神を念じて心ば正しゅうしてくらせよ」ち言われて消えられた。

有り難いこつもあるもんぢゃち帰りゃ喜うで筑後川ば渡しで渡って家に帰りかかったら誰か呼び止むる。ひょいと振り返って見ると天女のごたる美しかお姫さんの立ってござる。「私のごたる水飲み百姓に何の御用でっっしょか、呼び止めらるるごたる覚えはありまっせん」「いやいや私はあなたが此処で先刻助けてくれた赤蛇の母親で、高良神様からこの筑後川をおあずかりしている筑後川の竜王です。あの子蛇は人間世界がみたいと常日頃言っておりましたので、大人になって出て見るが良いと、さとしておったのですが、今日は私も高良神(サン)の方へ出かけていました。留守を良いことに人間界に出てあんな目にあったのです。あなたが通り合わせていなかったらどうあの子がなっていたか、思うとゾッと致します。お礼と言う程のものではありませんが、この手箱をさし上げます。

この箱がある以上いつまでも良いことが貴男に続くでしょう。しかし蓋を明けてはいけません。中を見てはなりません。どうか大切に」ち言うて黒漆塗(ウルシ)の手箱を渡すとお姫様は消えっしもうた。

正直者の百姓は手箱ぁ神棚に上げて、いつもんごつ、せっせと働きよったが、どうしたかげんか日照りんつゞいてん稲は枯れん、大水かぶってん稲は腐れんでどんどん金ん貯って村一番、国一番の分限者になり、万福長者、万の長者ち言わるるごつなった。こりも高良さんのおかげちいよいよ信心しよった。

ある年の稲の取り上げんこつ、何千町ち言う田ん中ん稲ん取り入れ、荒使子何千人、しいしい言うて刈り取ってどんどん片方ぢゃ倉に入れ、まーち-とで総容(ソーヨ)しまゆるち言う時、背振さんお天道さんの沈みかからっしゃった。あと十分でしまゆるとにち、長者は腰にさしとった扇ばさっとひらいて、「お天道さん、まーちーと待っとってくれんのー」ちあおいだ。そしたところが、あら不思議、沈みよったお天道さんが山から一尺ばっかり上さん登らしゃった。おかげで取り入れは全部済んだ。
よろこうで長者は明けん日、取り上げんしまえた祝ば家で何千人ちようで始めた。 「皆な、きつかっつろ、ごくろ、ごくろ、酒はあるけ飲みきるしご、御(ゴツ)つォは食いきるしご、えんじょせんなやってくれ」ちお礼言うて自分も酒飲みよったら天から紙切れん一枚舞い込うで来て長者んお膳の上に落(アエ)た。紙にゃたった一字「満」ち書いちゃるだけ。

長者はまーだまーだ自分にゃ幸福の満ちてくるち言う知らせち考えち、「そーたい、あん箱ば見りゃどんくれ福の残っとるかわかろ。」止めときゃ良かつに神棚から手箱ば下して、皆(ミンナ)ん見よっとこで、箱ん蓋ば取って見た、なんと空っぽで白か煙の出てくるだけ、長者も皆もアヂャちたまがっと同時にそん白か煙がどんどん広がって家屋敷、森、田ん中、長者が持っとるとこ全部に舞うて行ったかと思うたら、パーッち火になって燃え上り、一面火の海になって長者も荒使子どんもそん火に巻かれち、全部が全部、皆が皆、灰になってしもうたげな。こん長者屋敷の跡にゃまーだ、敷石てん瓦ん破(ワ)れてん出てくるけ本なこてあった話ぢゃろ。

老人大学生


*)注 6月1日の河渡り祭(かわたりさい=へこかき祭)昔は小郡・筑後・八女などから多くの人がお参りに来ていたと聞いています。
この昔話では「肥前の神崎」とあるので調べると約20km(5里)の距離があります。


 

昔むかし、肥前(現在の佐賀県)の神崎にそれは高良山を信心している百姓がいた。その日暮らしの水飲み百姓で、やっとのことで暮らしていたが、その中から少しずつだけど「お賽銭」を貯めては、毎年6月1日の「へこかき祭」にそれを持って参っていた。
ある年の6月1日、いつものようにお賽銭を持って筑後川の所まで来たら、悪さをする子供達が5,6人集まって、「打ち殺せ」、「皮を剥げ」と、何かを取り囲んで騒動している。寄って行って見ると、小さなクチナワ(蛇の一種)を捕まえて竹でつついている。赤いクチナワはもうグッタリして死にそうだった。
百姓はかわいそうになって、「そんなことをしちゃいかん、クチナワでもそれは珍しい赤クチナワで、まだ子供じゃないか。さあ、銭をやるから俺に売ってくれ」と、その赤いクチナワを買うと、「今からこんな子供たちに見つからないように草の陰に居なさい」と言って逃がしてやった。
お賽銭はなくなったけれど、ことわりを言ってお参りをしておこうと、渡しを渡って、高良山に着いた。

お宮さんの前に行ってみたら、不思議なことに自分の名前でお賽銭が奉納されている。間違いだろうと思いながら拍手して「私は今年はお賽銭をあげていないのに上がっているようになっていますが、何かの間違いでしょう」と念じたら本殿から神さんが出てこられて、「いや、さっきお前が高良神にかわって浜であの子供達から蛇を買ったのだから、ちゃんと奉納したことになっている。不思議がることはない。今からも高良の神を念じて心を正しくして暮らしなさい」と言われて消えられた。
有り難いこともあるもんだと帰りは喜んで筑後川を渡しで渡って家に帰りかかったら誰かが呼び止める。ひょいと振り返って見ると天女のように美しいお姫さまが立っておられる。「私のような水飲み百姓に何の御用でしょうか。呼び止められるような覚えはありません」「いやいや私はあなたが此処でさっき助けてくれた赤蛇の母親で、高良の神様からこの筑後川をお預かりしている筑後川の竜王です。あの子蛇は人間世界を見たいと常日頃言っていましたので、「大人になって出てみるのが良い」と、諭していたのですが、今日は私も高良の神様の方へ出かけていました。留守を良いことに人間界に出てあんな目にあったのです。あなたが通り合わせていなかったら、あの子がどんなになっていたか、思うとゾッとします。お礼というほどのものではありませんが、この手箱をさし上げます。

この箱がある以上、いつまでも良いことが貴男に続くでしょう。しかし蓋を明けてはいけません。中を見てはなりません。どうか大切に」と言って黒漆塗(ウルシ)の手箱を渡すとお姫様は消えてしまった。

正直者の百姓は、手箱を神棚に上げて、いつものようにせっせと働いていたが、どうした加減か日照りが続いても稲が枯れない。大水をかぶっても稲は腐れずにどんどん金が貯まって、村一番、国一番の分限者になり、万福長者、万の長者と言われるようになった。これも高良さんのおかげといよいよ信心していた。ある年の稲の取り上げのこと、何千町という田の稲を取り入れ、使用人(荒使子)何千人、一生懸命刈り取って、片方ではどんどん倉に入れて、もう少しで全部終わるという時、背振の山にお日様が沈みかかった。あと十分で終わるのにと、長者は腰に差していた扇をさっと開き「お天道様、もう少し待ってもらえないか」と扇いだ。するとあら不思議、沈みかかっていたお日様が山から一尺(約30㎝)ほど上がられた。おかげで取り入れは全部済んだ。よろこんだ長者は次の日、取り入れの終わった祝いを、家に何千人も呼んで始めた。 「みんな、きつかったろう、ご苦労、ご苦労、酒はあるので飲めるだけ、御馳走は食べられるだけ、遠慮せずにやってくれ」とお礼を言って自分も酒を飲んでいたら、天から紙切れが一枚舞い込んできて、長者のお膳の上に落ちた。その紙にはたった一字「満」と書いてあっただけ。

長者はまだまだ自分には幸福が満ちてくると言う知らせと考えて、「そうだ、あの箱を見ればどれくらい福が残っているかが分るだろう」止めておけば良いのに神棚から手箱を下ろして、皆が見ているところで、箱の蓋を取ってみた。何と空っぽで白い煙の出て来るだけ。長者も皆も「あじゃ」とビックリすると同時にその白煙がどんどん拡がって、家屋敷、森、田、長者の持っている所全部に舞っていったかと思ったらパーッと火になって燃え上がり、一面が火の海になって長者も使用人たちもその火に巻かれて、全部が全部、皆が皆、灰になってしまったそうだ。この長者屋敷の後には、まだ敷石や瓦が割れて出て来るから本当にあった話だろう。

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