袴着天満宮

袴着天体石

中央に梵字が彫られた三角の石(天体石)
=袴着天満宮の御神体

梵字で「大日如来」の種字「ア」に見えますが、表記法によって異なるようです。

梵字 大日如来をあらわす「ア」の種字
道真公は、この梵字を岩に指で書いたと・・

もとは、御井小学校の校庭、椋の大木の下に祀られていたのが、
戦後、宗教と教育の分離が実施され、
高良山地区の出目天満宮という神社の境内に移されたそうです。
(現在、祇園山古墳のそば、出目天満宮と同じ場所にあります)
さらに、高速道路の建設によって、出目八幡宮と共に、現在地に再度移転されました。7月24日に座と夏祭りが行われていたようです。


菅原道真公が太宰府に流されて来らしゃって、どうかして無実の罪ば晴らそうでち、
こん高良山に願かけに登らっしゃったつが延喜元年ち言う。千年以上前たいの。

道真公は太宰府ば出るとき人目につかんごつ普通ん者(モン)のごたる姿で来られち、
此処で着物着替え袴ばつけち参らっしゃったが、
そん時ここん石の上に指で天ち言う字ば書いて、
この文字が消えんなら必ず我が無実の罪なることがわかるであろうち言わしゃったげな。

あとで此処に神社ば造って袴着の天満宮ち呼ぶごつなった。

御井 筑後2 5 16


訳)

菅原道真公は、太宰府に流されて来られたが、なんとか自分の無実の罪を晴らしたいと、この高良山に願をかけに登られました。(千年以上前、延喜元年=901年のことです。)

道真公は太宰府を出るときに、人に見られぬよう、目立たない普通の人の姿で来られたので、
ここで着物を着替え、袴を着けてお参りをされました。その時ここの石(上の画像:天体石)の上に、指で「天」という字を書いて
「この字が消えなかったら、私の無実が証明される」と言われたそうです。

あとでこの場所に神社を造って「袴着天満宮」と呼ぶようになりました。

※)参考:菅原道真

承和2年6月25日(845年8月1日)生まれ。幼少より詩歌に才能を発揮し、貞観4年(862)18歳で文章生、33歳 で文章博士(家職)となる。886-890年、讃岐守の任に着いた後、外戚である藤原氏を牽制したい宇多天皇の信任を受け、次の醍醐天皇の治世でも昇進して右大臣にまでなったが、
昌泰4年(901年)1月25日、太宰権帥に降格、左遷される。彼の子供4人も流刑となる。
延喜3年2月25日(903年3月26日)58歳で没
「東風吹かば 匂ひをこせよ梅の花 主なしとて春な忘れそ」は道真が京を去る時に詠んだ和歌。
高良山に登ったのは、道真公が55、6歳の頃となります・・・。

高良山茶屋「望郷亭」
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