高良山神火去来(御井)

亨保2年(1717)ち言うけ、300年ばっかり前ん6月の朔、高良山の御神輿が瀬の下に着かしゃったら、その晩火の玉ん太かつの高良山から出て、ずーっと篠山んお城の上さん飛うで来て、そりから瀬の下さん行て又高良山の方さん戻り、又来たり何べんかしよって、しまえにゃ御神輿の乗っとる御座舟ん上に、留ったていっ時グルグル舞いよったげな。そうこうしよったらスーッと高こ上がって一気に高良山さね戻って行たげな。こげなこつぁ他所にもあったこっで、秋葉の魔火ちゅうて、遠州にもあるごつ耳袋ち言う本に書いちゃる。

石原家記下19


訳)

享保2年(1717)というから、300年ばかり前の6月の1日、高良山の御神輿が瀬の下に着かれたが、
その晩、火の玉の大きいのが高良山から出て、ずーっと篠山のお城の上に飛んできて、それから瀬の下へ行って、また高良山の方に戻り、また来たりを何遍か繰り返して、最後には御神輿の乗っている御座舟の上に留まって、しばらくグルグル舞っていたそうだ。
そうこうするうち、スーッと高く上がって一気に高良山へ戻っていったそうだ。
こんなことは他所でもあったことで、秋葉の魔火といって、遠州にもあるように「耳袋」という本に書いてある。

参考:
朔(new moon) :新月と同義だが、陰暦では朔日を月の始まる日「1日」とする。

6代有馬藩主則維(のりふさ)延宝2年(1674)3月3日-元文3年(1738)4月1日没。享年65

  • 正徳2年(1712)4月、草野又六を総裁判として床島堰(堰のながれ)・江戸用水を築造
  • 正徳3年(1713)、湯川東軒・合原窓南の手による正徳令を発布
  • 享保13年(1728)8月 享保一揆、上三郡の百姓5700人が府中まで押し寄せた

高良山茶屋「望郷亭」
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