蝉丸塚(御井寺)

蝉丸の塔

むかしゃ高良山にゃお寺ん二十ぐれあって
お宮さんよりお寺さんの方が有名ぢゃったげな。
そんお寺さんの中に、盲僧琵琶の九州本山ち言わるるとこんあって、ここん盲ん坊さん達ぁ手分けして一年中九州ビヤ弾いち回って
正月の二十日にゃ、しちゃつち戻って来て盲の餅割の行事ばしよらしたげなたい。
荒神ビヤも平家ビヤもそりゃ上手で、そん中にでん「今蝉丸」ち言わるるキリョウん良かビヤ法師の居らっしゃったち。
男前でビヤ上手ぢゃけ、そりゃー何処(ドケ)行たっちゃ若っか女ん子達にゃ勿論ババさん達にでん蝉丸さん蝉丸法師さんちもてよったげな。
ある年の暮れ、都から使の来て御所に勤めよち言う命令ば見せち。そん上手のビヤ法師ば連んのうち行ってしもうたげな。
都さん上ったそん年の正月の餅割り行事も終まえたある日んこつ、そんお寺にひょこっと女ごが蝉丸さんば尋ねち来たげな。よそば回りよって二世ば契っとったっでしょたい。蝉丸さんに会わせちくれ、添わせちくれち泣くげなもん。そりゃ真剣で目の色も変わっとるげなけ、
和尚さんな往生して、都に行たち、本なこつば言うたなら後追うち都迄でん行くぢゃろが、そすとビヤ法師の出世の妨げになる。さーどげんしたもんぢゃろか。困った困ったち思案しよるうち、蝉丸塔んあっとば思い出ーて、「娘さんよう聞かんの。あの蝉丸ぁ去年の暮、こゝにかえって来っとは来たが風邪が元で死んでしもうた。そっであん塔ば建てち供養しよる。もう此の世の者ぢゃなか。あきらめち里さん早よ帰んなさい。」ち言わしゃったげな。
娘はそりば聞くとワーッち大声あげち泣きくづれち、いつまっでん立ち上がりきらんぢゃったち。和尚さんも、盲法師達もいろいろ慰めちゃったげなが、
娘は「家ば飛び出して来たっぢゃけいまさら帰って親に会わする顔んなか。此処に居って蝉丸さんの供養ばする」ち言うて府中の女郎になって、死ぬ迄供養ばしたち言う話。むぞか話たい。

筑後3 4 32


訳)

昔、高良山にはお寺が20ほどあって、お宮よりお寺の方が有名だったそうだ。
そのお寺の中に、盲僧琵琶の九州本山と言われるところがり、
ここの坊さん達は手分けして一年中、九州内、琵琶を弾いて回って、正月の20日には必ず戻って来て、めくらの餅割りの行事をしていた。
荒神琵琶も平家琵琶もそれは上手で、その中にも「今蝉丸」と言われる器量の良い琵琶法師さんがおった。
男前で琵琶が上手だから、それはどこに行っても、若い女の子達にはもちろん、ババさん達にでも「蝉丸さん、蝉丸法師さん」と言ってもてていたそうだ。
ある年の暮れ、都から使いが来て、御所に勤めよと言う命令を見せて、その上手な琵琶法師を連れて行ってしまったそうだ。
彼が都に上ったその年の正月、餅割り行事も終わったある日のこと、そのお寺にヒョコッと女が、蝉丸さんを尋ねてきた・・・。他所を回っていた時に夫婦の約束をしたらしく「蝉丸さんに会わせてくれ、一緒にさせてくれ」と泣く。それは真剣で目の色も変わっていたので、
和尚さんは困り果て、「都に行った」と本当のことを言えば、後を追って都迄でも行ったら琵琶法師の出世の妨げになる。 さーどうしたものか、困った困ったと考えるうちに蝉丸塔を思い出して、「娘さん、よく聞きなさい。あの蝉丸は去年の暮、此処に帰って来たが風邪が元で死んでしまった。それであの塔を建てて供養している。もうこの世の者ではないから、あきらめて家に早く帰りなさい」と言ったそうだ。
娘はそれを聞くと「ワーッ」と大声上げて泣き崩れ、いつまでも立ち上がれなかった。
和尚さんも、盲法師達もいろいろ慰めたが、 娘は「家を飛び出してきたのだから、いまさら帰っても親に会わせる顔がない。ここにいて蝉丸さんの供養をしたい」と言って府中の女郎になり、死ぬ迄供養をしたという話。かわいそうな話だ。

蝉丸塔は変形宝篋印塔の馬耳型を持つ三層塔で、蝉丸の歌3首が刻まれているそうです。
俗に「縁切り石」といわれ、塔石を削って相手に飲ませれば浮気封じになるという俗信があり、昔はこの塔を削って持ち帰る人が多かったようで・・・中段あたりは非常に削られて・・・塔屋根部分が白く見えて・・・人の業の深さを感じます。

この御井寺の門前には珍しい天狗坐像があります。元は愛宕社にあったものらしい。

天狗とお寺の組合せ、現代は違和感を感じますが、神仏混淆の時代、お寺に修験者がいたのです。
筑後下宮社(高良大社、一の鳥居から入る)には役行者像があります。(元は源正寺にあったらしい。)

高良山茶屋「望郷亭」
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