高良大社


一の鳥居・二の鳥居・三の鳥居・ 下向坂の鳥居

一の鳥居 石造大鳥居〔昭和47年5月15日 国指定重要文化財〕


御井町バス停・派出所・御井小学校傍にある「一の鳥居」

高良大社 一の鳥居

鳥居の語源には諸説があるが、一般には神社の門であるといわれている。

この大鳥居は、高良大社の一の鳥居で、高さ6.81m、柱間4.5mで花崗岩製の典型的な大形の明神鳥居。

現在の鳥居は、承応4年(1655)に久留米藩2代藩主・有馬忠頼の寄進によって建立されたもの。

石材は竹野郡石垣村(現浮羽郡田主丸町)の花崗岩を切りだし、藩内の15才から60才までの男子延べ10万人によって耳納山地の山裾を運ばれた。

題字は、徳川将軍家の菩提所である東京上野寛永寺の門主の筆によるもので、安永2年(1773)7代藩主・有馬頼徸(よりゆき)の寄進によるもの。

久留米市教育委員会の案内看板より

また、鳥居横の石柱は、夏目漱石の親友の久留米出身の「菅 虎雄」の揮亳。
「高良山略図」によると、石鳥居の右手に「下馬」と彫った石柱があったが、今は礎石もない。


戦国時代まで鉄製の鳥居だったが、天正の乱で島津義久の軍勢に焼かれ、焼け残った鉄柱も兵士達に運び去られたという。
現在の鳥居は、明暦元年の銘があるが、前年の承応〔じょうおう〕3年〔1654〕に二代藩主有馬忠頼が寄進したもので、良質な石材は領民によって田主丸石垣村の石垣山から切り出して運んできた花崗岩を、耳納連山の山裾を伝って現地まで運ばれた。
公役に出た領民は、生葉・竹野・山本・御井・御原・上妻・下妻各郡(現在の三井・浮羽・八女・筑後・久留米の市郡)の15歳以上60歳以下の男子で、11月15日から28日までの間、延々と石を運んだ。
柱石は1本に1000人、貫石に300人もかかり、掛け声も勇ましく引っ張ったという。

(市史5巻479ページ)

*市史4巻605ページには「昭和53年2月通行するトレーラーによって一部を損傷し、文化庁の厳しい指示で修理工事が進められ、7ヶ月ぶりに復元された。」とある。(他と違った色に見える「貫」の部分。)

*)「家勤記得集」・・八女郡広川町の大庄屋、稲員右衛門安則の家記

承応3年(1654)冬11月、高良山華石を竹野郡石垣山から高良山麓へ運んだ。男15歳以上60歳以下で曳いた。
石垣山といっても実際は生葉郡冠村から切り出したもので、冠石と貫石などのみ石垣山から切り出したのである。
山から竹野郡放光寺までは、生葉・竹野・山本の郡民で、放光寺から山本郡矢作村までは御井・御原郡、矢作村から御井郡安志岐村までは上妻・下妻郡の安志岐村から高良山麓までは三潴郡の郷民がこれを曳いた。
藩からは丹羽頼母がこの監督として付き添い、北筑の大庄屋、小庄屋も全員参加した。
11月25日から29日まで5日間、上妻、下妻郡の郡民1日3000人が働き、柱石1本に1000人がかりだった。途中、曳き手の一人が倒れて、修羅の下敷きになりかかったが、その時、前野市兵衛という大力の持ち主が石の上から手を伸ばして「えいやっ」と、高さ2m位の畑の上に投げ上げたという一幕もあった。
千光寺、柳坂あたりは、左右が深田で、足場が悪く、道の曲がり角では曳き手は全員氷の張った深田に入らねばならず、大変な苦労をした。

*)修羅:古墳時代から使われる巨石・巨木を運ぶ道具。大石を運ぶ時に下にすることで(帝釈天が踏みつける修羅)に例えて大石の下に踏み敷かれるソリを修羅と名づけた


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 二の鳥居

二の鳥居

第二の結界、ここをくぐり参道に入る際、清浄さが最も大切にされます。
この参道が木で覆われており、雨にも濡れないことから、高良山の別名が不濡山〔ぬれせぬやま〕といわれている。
参道と自動車道が分岐する所に建てられた鳥居で、昭和44年9月に江崎 柾氏を始め多数の方々の寄進によるもの。

鳥居左側の石柱は「牛馬制札」で 「石華表之中車牛馬通るへからす(右側面下)政所代」と彫られている。
「政所代」とは高良山御井寺の政務、寺領の管理・支配などを司った役職で、 代々隆慶上人の庶流といわれる厨家がこれにあたってきた。寺奉行、目代とも称することがある。
碑の建立年月は不詳(碑誌228頁) ここの石段を登ると高良大社、赤の鳥居までの距離、約9町(×109.9m=990m)。
鳥居から1町ほど登った左手に背比べ石、 さらにその先には馬蹄石(宝暦13癸未=1763年に奉納)がある。
馬蹄石は神籠石の起点という説もあるようで、 ここから参道の左右の林に入れば、神籠石が続いている。

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※ 三の鳥居・坂下鳥居

三の鳥居

鳥居をくぐり、131段の石段を上がり高良大社本殿に入る。
ここより南の下向坂(下の画像))が本参道だったが、現在、本坂は正面石段。わきに修復工事寄進者名の入った石碑がある。前後に4本の柱を備えた「両部鳥居(四脚鳥居)」で、「高良山玉垂宮縁起」に描かれた江戸時代前期の様式を忠実に復元したもの。

石段は宝暦3年(1753)建造された。寄進者は三潴の酒造家。

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下向坂鳥居

下向坂鳥居

古くは、こちらの下向坂が本参道だったが、現在は正面・三の鳥居のある本坂石段が本参道となっている。
ここにあった鳥居は本坂に移されたが、平成4年に昔の色や形の鳥居が作られた。

高良山茶屋「望郷亭」
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