上津天満宮・「子の日の松」

久留米市上津町字本山2077-1


上津本山の岡上にある天満宮

天満宮由来

当社は学問の神様・菅原道真公を祭神とし敷地境内併せて9000㎡の森の中に鎮座しています。
寛文10年(1670年)当社の宮司・河内宮内および当村の庄屋、市右衛門が有馬藩に提出した報告書によると、当社は上津荒木(千束・本山・上津・二軒茶屋・野添)の氏神で、社殿は二間に三間の茅葺、陰暦11月15日村中で祭礼を行い、お供え上げ、御酒を供え御神楽相つとめたとあります。鎮座の時期については同書上でも不明としていますが中世までさかのぼることは確かと思われ、また、境内は古代遺跡で縄文石器・弥生石器も採集されています。
現在の社殿の建立時期についても不明ですが、鳥居・狛犬等の刻銘から文政の頃かと推定されます。
本殿東奥に三つの祠があり、中央が豊姫宮(別名:乙姫宮)向かって右は若宮八幡宮、左は大神社です。ともに上村(上津)区域に鎮座していたものを大正14年現在地に移転したもので、中央の祭神は女の神・安産の神「豊比咩命神」で高良の神(玉垂命神)の配偶神だと云われています。この神は一説によれば天長4年(827年)の勧請ともいわれ、その後、玉垂命神と相並んで神階を授けられ、寛平9年(897年)には正四位上に叙されています。正史上の豊比咩命神は玉垂命神と同殿かあるいは両宮相並んで鎮座していたようです。

(教育委員会発行誌より)

2016年2月6日の「子の日松神事」準備

たき火をして、松を運ぶカゴや棒を準備

さすがに職人さん。作業が進みました。

神前に並んだお供え物、カゴ(小松)等

2月6日の「子の日松神事」

四地区(本山・上津・二軒茶屋・千束)が交代で、当番を務めることになっています。


衣装に着替えた子供たち。4歳の子も参加


神前でお詣り


いよいよ出発

上津天満宮を下ります。

赤い衣装は女の子。帽子?で顔が隠れているのか

田園風景の中の行列は趣があると聞いていたのですが、新築の家が建て込んで残念・・・
このあと、高良大社までバス移動し、また、高良大社に登り、松の木6本を移殖します。

天満宮と子の日の松

当天満宮は御井町の高良大社と深い関わりを持っています。
古代より毎年旧正月初子の日に、氏子中にて同天満宮境内や付近の高良台より小松3本を根堀りし、高良大社前に運び植えたといわれています。

その後、明治維新の頃に中断し、昭和13年高良社の要望もあって再興されたが、再び中断された後、再開されました。

元来「子の日の松」とは、正月初めの子の日に野山に出て小松三本を根引きし、若菜を引いて遊び、国家安泰を祈り、延命息災を祝って宴遊する平安貴人公卿らの遊びであり、宮中でも当日は「子の日の宴」を賜る例がありました。

この平安貴人の遊びがどうして高良山と当地を結ぶ行事として行われたのか興味深いものですが、その起源は不明ながら、古文書、高良社に残る画縁起等により、古い伝統を持つ行事だと思われます。

高良山のかっての名木の松はすべてこの「子の日の松」の成長したものであり、

◎高良内村社の用材となった七本松、
◎豊臣秀吉が旗を結び付けたと伝えられる傘松・・・等は「子の日の松」だったといわれますが、残念ながらいずれも残っていません。

この由緒ある郷土の伝統行事は、地元住民により平成12年旧正月初子の日より復活しました。

久留米市教育委員会発行
「ふるさとの歴史を訪ねて」より昭和58年2月

天満宮の社殿奥に大きな石祠があります。
右:若宮八幡宮
中央:豊姫宮(乙姫宮)
女の神・安産の神「豊比咩命神」
左:大神社

境内には、北原社もあり、地域に散在していた神社が集められています。

高良山茶屋「望郷亭」
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