祇園山古墳

久留米市御井町299-219他
福岡県指定史跡

一の鳥居→九州自動車道の下を抜けて右折→突き当たり

祇園山古墳は、古墳時代前期に築かれたとみられる九州で最も古い段階に築かれた首長墓で、
方墳(平面形が方形の古墳)の規模は東西約23.7m、南北約22.9m、高さ約6mと推定される。
各辺とも直線でなく、中央部がやや膨らむ弧を描いている。
墳丘は本来の地形を整形した上部に盛り土がされ、葺き石は2段(墳丘裾部と上段の盛土部分)
墳丘の周囲には60基以上の石蓋土壙等の棺が発見され、多くの市民による保存運動で、かろうじて約80%が遺跡として保存された。(卑弥呼の墓という学者もいるらしい。)


古墳頂部から遠くに霞む市庁舎

すぐ下に九州自動車道
祇園山古墳図

小高い丘陵の上に盛土して造られた古墳、竹林、林に囲まれた古墳の頂からは足元に九州自動車道、その先には久留米市庁舎が見える。

古墳頂上部は、今、草が生い茂り、中央部の長方形のくぼみが石棺の名残り。

古墳は、九州自動車道建設の折に調査されたが、石棺に塗られていた朱が残っていたという。
道路脇に出目天満宮があり、境内に御井小学校校庭から移された袴着天神天体石がある。
(出目・袴着の両天満宮は九州自動車道建設で、現在地に移動。)

「御井町誌」によれば、この古墳は中世に大祝(おおほうり)家の祖、日往子尊(ひゆきのみこと)の廟と言い伝えられている。

御井町誌に骨の入った画像あり?

また、「国分寺地蔵菩薩板碑」(宮の陣国分寺に現存・大原合戦に関したもの)がここにあったという。


埋葬施設は、墳頂部(一辺が役10mの平坦面)のほぼ中央に納められた箱式石棺。安山岩の板石を大小5枚使い、側壁の不足部を補う板石各1枚で構築された石棺の大きさは底部付近で長さ約2m、幅約90cm、深さ約90cmで、棺内には蓋石も含めて朱が塗られていた。
石棺は古い時代に盗掘を受けたと見られ、内部からの副葬品の出土はなかった。

祇園山古墳の墳丘外周からは、発掘調査時に甕棺墓3基、石蓋土壙墓32基(未調査5・不明2を含む)、箱式石棺7基、竪穴式石室13基、不明7基の埋葬施設が確認されている。
第一号甕棺からは、銅鏡片や曲玉・管玉が出土した。

(上測量図・説明は現地説明板から転載)

高良山茶屋「望郷亭」
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