高良外宮社

左から祇園社・高良外宮社・幸神社・粟島神社

悪疫の神様が宿場に来ると、病人が増えるので、おもてなしして出発して貰おうと
素盞鳴尊を迎えてお祭りをしていたという。(7月20日)

祭神

高良外宮社は上宮(高良大社)と同じく
履中天皇元年(400)あるいは天武天皇の白鳳2年(664)の創建といわれ
上宮を遙拝する位置にあり、平安時代には、国司のつかさどる名社で「高良宮下宮」と呼ばれていた。
南北朝時代の天授3年(1377)征西将軍宮懐良親王が当社に願文を納められた。

有馬家入国の際、神領を寄進され府中町の氏神となったが、今も「祇園さん」の名で親しまれている。

大正3年、村社に列した。

高良山の自然と史跡を守る会
昭和58年2月

*)秋葉神社:高良下宮社に並祀された秋葉神社は俗称「あわしまさん」。元は千手院にあり、大正末期に下町の源正寺から移された。
7月3日に「ヨド」を持ち、女性が罹患しないように祈願する。


宿場町・府中〔御井町〕の恵比須


これらの恵比須像は市神として祭られてい たらしい。
旧坊津街道府中〔御井町〕には鎌倉時代から市が開かれており、北筑後各地の親市だった。
各地の市には高良社の大祝鏡山家によって市神である市恵比須が勧請された。

夫婦の恵比須さんであることから、商売繁盛はもとより夫婦円満の御利益もいただけると信仰を寄せていただいている
昔、鏡山屋敷・鏡山神社は下宮社のあたりにあったらしいが、九州自動車道建設に伴い、鏡山神社は山上に移された。

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役の行者

並んだ恵比須像の右側にある祠の中に「役の行者」像がある。
近づいて見ると、後背は不動明王などの後背の炎の形に似る。自然神を信仰していた日本人は、先祖を神として祀り、平安時代・仏教伝来の後、神仏習合の形で、明治時代の廃仏毀釈まで続いたが、
今も、岩不動や役の行者像が残っているのは、昔からこの地域が密教に縁の深い土地柄だったことを偲ばせる。

高良山茶屋「望郷亭」
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