北野天幡宮夜渡(よど)

6時頃と時間が早かったのですが、神事はすでに終わっていて残念でした。
大人はまだ少なく、中高生の年齢層の子どもたちが浴衣姿で、たくさん集まっていました。





茅の輪を8の字に回り、お詣りをします。 総代さん達の
高良大社のへこかきに参加された経験を聞きました。
遠くから参加していたのですね。

由緒

北野天満宮は、菅原道真公を祀った神社で、その創立は天喜2年(1054年)御冷泉天皇の御観夢により当地を選び、関白藤原道隆の孫貞仙僧上に勅して、宝殿九間に五間の社殿を造営され、社殿の廻りには、75ヶ所の末社と28ヶ所の社寺家があり、領田は一千町歩に及び、京都北野天満宮の代官所として華麗を誇った。

その後源平の争乱で社殿は破壊されたが、源頼義、頼朝が社殿を寄進し足利義満の代になると筑後一円を荘園として認められ、この地方の人には年貢、兵役、人夫等の課税を免ぜられる。

戦国時代、兵火に見まわれ社殿は全焼したが永正5年山本郡吉永の城主藤原重永によって再建された。その後天承15年、豊臣秀吉、九州征伐の時、一時社領は没収されたが、承応3年(1654年)久留米藩第二代目藩主、有馬忠頼(瓊林公)が社殿を改築し、明和年間楼門が潤色され池や橋の造営により、今日の天満宮の景観ができた。
以来、学業成就並びにひきつけふうじの祈願所として近郷からの参詣者が絶えなかった。

現在、神社の境内には、樹齢900年の大楠(天然記念物)が茂り、慶長鳥居(県文化財)が古色蒼然たる趣を添え、江戸時代に寄進された、撫牛、燈籠、鳥居、狛犬等立並び、信仰厚かった往時が偲ばれる。

又、鰐口、天神縁起三巻(県文化財)及び、足利義満将軍の御教書を始め、南北朝時代から江戸時代中期にかけての古文書、御陽成天皇の御真筆書画等が、現在保存されている。
毎年執り行われる10月の御神幸祭の行列(県文化財)は古い伝統を誇り人のよく知るところである。

丁丑(平成9年)丁未月

楼門横の説明板による

よいこのカタヌキ菓子

昔、縁日の夜店でも同じようなのがありました。今の材料は何でできているのでしょうか。クリーム色に近い、2.5センチ角ほどの板状のもの(あらかじめ左のような形がどれか一つ形押ししてあります。100円で買い、画鋲の先で余分な部分をきれいに落とせば得点が貰えます。かならず形の細くくびれた部分があり、ここを彫り出すのに苦労して失敗します。この他に出ていた屋台は、イカ焼き、水笛、やきそば、フライドポテト、金魚すくい・・・境内の橋を渡りきったところから山門の前まで、参道の両側にかなりの数が並んでいました。

ステージの準備も完了していたので、カラオケ大会で盛り上がるのでしょう。

極めて古い伝統を持つ北野八幡宮は、一時期廃れ、神主さんが不在の時期もあったそうですが、地元の人達の熱意で昨日作ったばかりの緑色の「茅の輪」などが販売されるまでに復活したそうです。地元の総代さんなど、当番をされる方のご苦労は大変だと思います。大きく有名な祭りの良さとは違いますが、子ども達が、その土地ならではのお祭りに参加できることは大切なことだと思います。

次回は、最後まで取材したい

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