城島の和傘

慶長6年(1601)江上村・山王社の宮司が、
禄高僅少のために、生計のたしとして副業に始めたのが起こりで、
その後、次第に付近に伝習拡大された。傘の製造業の中心は江上村だった。
和傘は結婚式の引き出物として贈ることが一般化していた。
また、子供が学校にあがるときは名前を入れた傘の注文が多かった。
その後、洋傘が出現すると次第に衰退した。
主に番傘と蛇の目傘を造ったが、注文により日傘なども造られていた。
販路は、郡内、九州一円、中国方面までも拡がっていた。
町内の和傘は大川のポッポ汽車(大川汽車)を利用して送られ、
主に久留米の傘問屋 龍頭商店や三本松町 中川源兵衛問屋に送られた。

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