井上満文学碑

所在地:野中町 正源寺境内

みめうるはしくあらずとも
なれかしこくはならずとも
せめて吾子よ幸せに
伸びよと親は祈るなり

井上満

碑文

井上満は

  • 1900年12月16日、久留米米屋町に生れ、国分小学校・
  • 大正8年、中学明善校を経て日露協会学校に学び、ロシア語を習得した。
  • 1926年、卒業後上京、文筆生活に入り、翻訳・評論・ロシア語普及に従った。
  • 1936年からは特にロシア・ソビエト文学の研究に没頭、幾多の名訳・評論を世に問い、好評を博し、文名次第に挙がった。

わけてもロシア文豪ゴンチャロフの研究・翻訳では本邦第一人者であった。 同時に満は、学生の頃から日ソ友好達成の念に燃え、操守堅固、どのような権力の圧迫にも屈することなく、生涯をその運動に捧げて悔いなかった。
彼は又、久留米を愛してやまず、しばしば仕事を持って帰省した。ここの正源寺本堂は、1958年秋、ショーロホフの「静かなるドン」の翻訳に取り掛かったところである。惜しいことにその完成をみることはできず、翌年5月14日東京で病没。愛妻千歳により手厚くこの寺に葬られた。
満と内助の功の誉れ高かった千歳との間に女児のぞみが生れたが、不幸なことに早世した。
碑文はロシアの古謡、満の訳と筆、子を失った親の悲しみが託されている。

1969年5月14日:山内正樹

*)この碑のある正源寺は延室8年(1675) に建立されたものです。

  • 1924年、ハルピン日露協会学校(後のハルピン学院)を卒業。
  • 1925年、25歳で上京、文筆活動に入る。後に駐日ソ連大使館情報部に勤務、ソ連事情を新聞雑誌に発表していた。
  • 1936年、軍機保護法違反を理由とする不当な逮捕で、3年間の獄中生活を送る中、ロシア文学研究に没頭する。

(参考)日本ロシア語情報図書館・郡司良氏(日本ユーラシア協会理事)の「井上満先生について」

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