ドイツ俘虜収容所

現地へ行き、昔の地図と比較しながら、その痕跡がないか探してみましたが、ほとんどが住宅地で、
昔の状況はなかなか想像できませんでした。

白川公園

(自衛隊久留米駐屯地の西角に接する北島信号傍)

この公園(写真:空き地だった可能性もあり)が、ほぼ同じ形で、収容所敷地の西側に隣接していたことが分りました。
現在の公園は新しいバイパス道路に接し、その大きさ幅等が変化した可能性もあると思います。

白川公園:バイパス側から収容所のあった方向を見る

白川公園:収容所の西に隣接していた公園(長さ100m位[写真では左右]・幅:最大50m程度[写真では奥行き])。公園奥にある家並みの位置に久留米収容所があった。

白川公園:左側に収容所があった。

同じ公園を違う方向から撮影 。収容所は左側にあった
チンタオ・ドイツ兵俘虜研究会(H17・3 高知大 瀬戸先生史料) のサイト内久留米収容所には当時の収容所建物がありますがそれに隣接していたと考えられる公園です。
*瀬戸先生のサイトが閉鎖されていました。残念です。

神代橋

神代橋:ドイツ捕虜等が水浴に来たと思われる付近

文永11年(1274)元・高麗の連合軍が襲来した時、
この地の神代良忠は南九州から博多に向かう軍勢が筑後川を渡るために浮橋(舟橋)を設けた場所で記念碑があります。 左端奥にかすむのは高良山

ドイツ俘虜達は

高良山登山(高良大社・御手洗橋:収容所から2km)
筑後川で水浴(水泳は許されなかった)
花の時期には
宮の陣(将軍梅:収容所から4.4km)
発心の桜(収容所から9km) を見に行ったという。

現在は隣に新しい橋が建造中。(クレーンが2つ稼働中)写真、左手に宮の陣橋が、かすんで見える

左側に新しい熊代橋が建造中

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